アメリカ超南部
100.comida de mexicanos
国境の道沿いでタコス屋
メキシコでタコス屋を見つけるのは至難の業w普通の食堂。裏で鶏をしめているwやっぱり鶏肉。
アメリカ国のタコス屋やメキシコ風ハンバーガーを発見しやすいかもしれない。よくわからない。
肝心なメキシコ人はタコスが家庭料理なのだろうか店がない。
列に並んでいるメキシコのタコス屋。
オバチャン店主が注文を受けてから生地を焼く。タコス完成まで注文からおよそ10分。いろんな種類の中身があって食べ応えがある。なかでも肉とあずきの煮物をはさんだタコスは最高だった。
かあさんのは優しい味。甘くてやわらかくて8個食べてしまった。一個200円。この旅のタコス三昧は、物価が高くなっていることに気づくきっかけだった。どれも並ぶ品は同じ。
生活が密着しているものは安価で、生活とかけ離れた品は高価。ニカラグアまで陸続きだった安価な世界はメキシコで生活を離れアメリカで昇華していく。そしたら日本も。地元民とブーツについて話し込んだ。かっこよくて味のあるものは無名がおおい。
アメリカに入国した。
バイク出国の手続きを済ませる前に、アメリカに入国してしまった。これが大きな問題になった。
パスポートコントロールとバイク税関所がちがうところにある。
案の定、入国をすませていざ走り出そう最終チェックをすると、アメリカ税関職員から「バイクの手続き、やってないじゃん!と言われてしまった。

かくして歩いてメキシコ国境を歩いて逆戻り。国境は鉄橋である。
出身地の島田市大井川の鉄橋を、マラソン大会の練習で幾度となく走り越えたことがある。マラソンシーズンは冬だからいくら走っても平気だったけど、この日のメキシコは炎天下。35度ぐらいで皮製のものを羽織りライダー向け風を通さないズボン。ああつい
同じ橋を徒歩で渡る大勢のメキシコ人。さっきはクルマの大渋滞。こんどはヒトの大渋滞。
それにしても徒歩で入国してどうするのだろうか。一番近い町まで10キロ以上ある。それまで草原でなにもない。
ヒトの心配をよそに、バイクの出国手続きを終えて徒歩でふたたびアメリカへ。
徒歩での入国手続き所でふたたび長蛇の列。
人間の入国はすませてあるの私は、ヒトの大渋滞の列を無視して先頭まで歩いていく。
たったこれだけのことなのに国境では緊張する。意外とみんなやさしいまなざしで私の言動をみている。
アメリカ人の管理官に「なぜお前は列を守らず前にきたんだ」と危険人物扱いしてピストルに手をかけるしぐさをする。
英語がまったくわからない。雰囲気でスペイン語ではなしてみたが・スペイン語が通じない。
スペイン語圏の入国管理官がスペイン語が通じない。
これはわざとそうしているのか。
その管理官は英語のみをスピークイングリッシュしていた。
入国管理官に根掘り葉掘り質問攻めにあった。
車両で入国すると指紋提出が義務化されていたが、徒歩での入国は必要ないらしい。
もしかしたらメキシコ人とアメリカ人以外の人種の指紋採取だけしているのかもしれない。
ここは2万キロつづいた新興国とよばれる国々との境である。
入国させてもらった。私の英語はあまり通用しない。
町に出ても同じく言葉がイマイチ通じない。
アメリカ英語がほぼ理解不能になっている。もともとだけど。
速いし単語がつながっている。youmustbeisugoteiasoitekoという感じ
ヨーロッパ英語は理解できていたのです。
ずいぶんスペイン語に慣れてしまったならいいのだが、スペイン語もよくわかっていない。
アルゼンチンからの行程はスペイン語が多少できるぐらいで平気で、あとはノリだった。
英語の国はそうはいかない。
アメリカはバイクの強制保険が厳しかった。
日本で言えば車検の代わりみたいなものだ。加入していないことで多額の罰金。
アメリカの警察はよっぽどでなければワイロ請求してこない。そのかわり保険に入っていないと法律違反。どの国も出費は変わらない。支払う金の名前と名目が変わるだけのこと。
この日は日曜日で、バイク保険の加入可能な保険屋はぜんぶ閉まっていた。
バイクだけは別らしい。

国境の道沿いでタコス屋
メキシコでタコス屋を見つけるのは至難の業w普通の食堂。裏で鶏をしめているwやっぱり鶏肉。
アメリカ国のタコス屋やメキシコ風ハンバーガーを発見しやすいかもしれない。よくわからない。
肝心なメキシコ人はタコスが家庭料理なのだろうか店がない。
列に並んでいるメキシコのタコス屋。
オバチャン店主が注文を受けてから生地を焼く。タコス完成まで注文からおよそ10分。いろんな種類の中身があって食べ応えがある。なかでも肉とあずきの煮物をはさんだタコスは最高だった。
かあさんのは優しい味。甘くてやわらかくて8個食べてしまった。一個200円。この旅のタコス三昧は、物価が高くなっていることに気づくきっかけだった。どれも並ぶ品は同じ。
生活が密着しているものは安価で、生活とかけ離れた品は高価。ニカラグアまで陸続きだった安価な世界はメキシコで生活を離れアメリカで昇華していく。そしたら日本も。地元民とブーツについて話し込んだ。かっこよくて味のあるものは無名がおおい。
アメリカに入国した。
バイク出国の手続きを済ませる前に、アメリカに入国してしまった。これが大きな問題になった。
パスポートコントロールとバイク税関所がちがうところにある。
案の定、入国をすませていざ走り出そう最終チェックをすると、アメリカ税関職員から「バイクの手続き、やってないじゃん!と言われてしまった。

かくして歩いてメキシコ国境を歩いて逆戻り。国境は鉄橋である。
出身地の島田市大井川の鉄橋を、マラソン大会の練習で幾度となく走り越えたことがある。マラソンシーズンは冬だからいくら走っても平気だったけど、この日のメキシコは炎天下。35度ぐらいで皮製のものを羽織りライダー向け風を通さないズボン。ああつい
同じ橋を徒歩で渡る大勢のメキシコ人。さっきはクルマの大渋滞。こんどはヒトの大渋滞。
それにしても徒歩で入国してどうするのだろうか。一番近い町まで10キロ以上ある。それまで草原でなにもない。
ヒトの心配をよそに、バイクの出国手続きを終えて徒歩でふたたびアメリカへ。
徒歩での入国手続き所でふたたび長蛇の列。
人間の入国はすませてあるの私は、ヒトの大渋滞の列を無視して先頭まで歩いていく。
たったこれだけのことなのに国境では緊張する。意外とみんなやさしいまなざしで私の言動をみている。
アメリカ人の管理官に「なぜお前は列を守らず前にきたんだ」と危険人物扱いしてピストルに手をかけるしぐさをする。
英語がまったくわからない。雰囲気でスペイン語ではなしてみたが・スペイン語が通じない。
スペイン語圏の入国管理官がスペイン語が通じない。
これはわざとそうしているのか。
その管理官は英語のみをスピークイングリッシュしていた。
入国管理官に根掘り葉掘り質問攻めにあった。
車両で入国すると指紋提出が義務化されていたが、徒歩での入国は必要ないらしい。
もしかしたらメキシコ人とアメリカ人以外の人種の指紋採取だけしているのかもしれない。
ここは2万キロつづいた新興国とよばれる国々との境である。
入国させてもらった。私の英語はあまり通用しない。
町に出ても同じく言葉がイマイチ通じない。
アメリカ英語がほぼ理解不能になっている。もともとだけど。
速いし単語がつながっている。youmustbeisugoteiasoitekoという感じ
ヨーロッパ英語は理解できていたのです。
ずいぶんスペイン語に慣れてしまったならいいのだが、スペイン語もよくわかっていない。
アルゼンチンからの行程はスペイン語が多少できるぐらいで平気で、あとはノリだった。
英語の国はそうはいかない。
アメリカはバイクの強制保険が厳しかった。
日本で言えば車検の代わりみたいなものだ。加入していないことで多額の罰金。
アメリカの警察はよっぽどでなければワイロ請求してこない。そのかわり保険に入っていないと法律違反。どの国も出費は変わらない。支払う金の名前と名目が変わるだけのこと。
この日は日曜日で、バイク保険の加入可能な保険屋はぜんぶ閉まっていた。
バイクだけは別らしい。

国境
メキシコを走る
99.Aduana EstadosUnidos,reinosa mexico

アメリカとの国境に差し掛かっていた。
アメリカ西海岸を縦に走ればこの旅はおわる。
ところがアメリカ国境に差し掛かってくると道路標識が一切無くなった。
およそ300キロのあいだ、道に迷わないほうがおかしいのである。
荒野しかない。そこを危なそうな人が歩いている。
かなり冷え込んでいる。夜には氷点下になった。
軍隊の検問があった。
検問所があるということは、主要道であるに違いない。メキシコはその程度の判断で走ることになる。
いつもの検問で書類検査。
レイノーサ
それがおわると厠に行きたくなった。
軍人に案内されて検問所の裏にいくと、数個のテントが張られていた。「どこでもいいぞ」と若い兵隊。ライフルが似合ってる。目は優しかった。焚火のあとがあり、その近くには鍋や飯ごうが転がっていた。綺麗に洗ってある。なべ底にはどうしても洗いきれない「焦げ」が生活観を漂わせていた。検問所の裏には彼らの実態があった。
軍人たちは検問所の裏で完全アウトドアな生活を送っていたのである。世界中みても検問所の裏がキャンプ場になっている場所はそうない。メキシコ軍の兵隊はキャンプ生活。笑顔をみせないのはこのせいだろうか。
ワイロばかりの警官にくらべ世界の兵隊はマジメだ。それだけに軍予算をもっととってよメキメキちゃん。
2009年メキシコは政権がかわった。新大統領は麻薬撲滅に力を入れている。麻薬汚染された国内を正すため軍隊も日夜検問に励んでいるようだ。
メキシコを走っていて、道端で手招きしてくる警官と幾度となく出会った。どうせ恐喝なので無視したがメキシコ政府は管轄下を早急に正したほうがいい。国全体のイメージは一般市民でなく行政の場合もある。
国境から数キロに位置するホテルに入った。
風邪気味。タバコをやめればいいのに。
ニカラグア人と友達になった。
彼らはアメリカに買い付けをして、いまからニカラグアに帰るところなんだと言った。ここは寒いがニカラグアは猛暑だろう。あの暑い国に帰るのだから体調に気をつけてと声をかけると、みんな笑った。ニカラグア人の笑顔が好きだ。

彼らと酒を飲み、蚊と闘った。
バイクを寝室に入れて就寝した。
アスタマニャーナ

アメリカとの国境に差し掛かっていた。
アメリカ西海岸を縦に走ればこの旅はおわる。
ところがアメリカ国境に差し掛かってくると道路標識が一切無くなった。
およそ300キロのあいだ、道に迷わないほうがおかしいのである。
荒野しかない。そこを危なそうな人が歩いている。
かなり冷え込んでいる。夜には氷点下になった。
軍隊の検問があった。
検問所があるということは、主要道であるに違いない。メキシコはその程度の判断で走ることになる。
いつもの検問で書類検査。
レイノーサ

それがおわると厠に行きたくなった。
軍人に案内されて検問所の裏にいくと、数個のテントが張られていた。「どこでもいいぞ」と若い兵隊。ライフルが似合ってる。目は優しかった。焚火のあとがあり、その近くには鍋や飯ごうが転がっていた。綺麗に洗ってある。なべ底にはどうしても洗いきれない「焦げ」が生活観を漂わせていた。検問所の裏には彼らの実態があった。
軍人たちは検問所の裏で完全アウトドアな生活を送っていたのである。世界中みても検問所の裏がキャンプ場になっている場所はそうない。メキシコ軍の兵隊はキャンプ生活。笑顔をみせないのはこのせいだろうか。
ワイロばかりの警官にくらべ世界の兵隊はマジメだ。それだけに軍予算をもっととってよメキメキちゃん。
2009年メキシコは政権がかわった。新大統領は麻薬撲滅に力を入れている。麻薬汚染された国内を正すため軍隊も日夜検問に励んでいるようだ。
メキシコを走っていて、道端で手招きしてくる警官と幾度となく出会った。どうせ恐喝なので無視したがメキシコ政府は管轄下を早急に正したほうがいい。国全体のイメージは一般市民でなく行政の場合もある。
国境から数キロに位置するホテルに入った。
風邪気味。タバコをやめればいいのに。
ニカラグア人と友達になった。
彼らはアメリカに買い付けをして、いまからニカラグアに帰るところなんだと言った。ここは寒いがニカラグアは猛暑だろう。あの暑い国に帰るのだから体調に気をつけてと声をかけると、みんな笑った。ニカラグア人の笑顔が好きだ。

彼らと酒を飲み、蚊と闘った。
バイクを寝室に入れて就寝した。
アスタマニャーナ
命の危険
98.Mexicanos

窓拭きの少年たち
日記抜粋
2008年11月15日
午前5時30分起床、出発
まだ目はまん丸
午前11時
ふざけたメキ鹿野がケンカを売ってきた。いや、私が売ったんだ。
メキシカンふたり組がファッ●だサノバだ言ってきたから、私は丁寧なスペイン語で死ねといった。
すると高速の料金所の先でまちぶせしてくれた。
暑さにやられて危険察知の感覚も麻痺していたのだろう。なにも怖くない。

なにか嫌な予感がしてレストランに立ち寄ると案の定ヤツらはどこからともなく車で滑り込んできた。
ふたりは車から降りるなり「最後の望みは何だ!」と言ってきた。
望みをきいてくるなんて、なんて親切な不良たちだろう。
まるで閻魔様最後の情である。
手には鉄パイプ。
ふりまわしてきた。
私は数歩後ずさり、彼らは私を本気で殴ろうと飛び掛ってきた。
「のぞみは何だ!」
そういいながらバイクの脇に置いてあった私のヘルメットを鉄パイプで殴る不良のひとり。
また最後に「望みはなんだ!」そう言って、走り去っていった。まるで台風である。
レストランの店員も知らん振り。
でも最後は心配そうに「待ち伏せしてるかもしれない」と言った。
アイツら拳銃だって持ってるかもしれないから、ここでゆっくりしていきなと強く勧められた。
鶏肉料理を注文した。
平気そうなそぶりで食べたが、さすがに殺されるかもしれない緊張に喉を通らない。
鶏肉料理はおでんの味がしたのだけは覚えている。喰ったらすぐに出発した。

さて、この事件の発端である。
メキ野郎の乗る後続車。その車間距離が私の常識をはるかに超えたアドリブのきかないものだった。
だから私は不良どもに先に行けと仕草をしたのだが、先に行ってはくれない。
車間距離はあいかわらず2m前後と、○阪○知あたりの車間より近い。
体中がカッとなってしまった。
ここがメキシコであることを忘れていた。
彼らは本気で私を痛めつけようとしていた。
20代と50代の親子と思われるふたりの鉄パイプ野郎たち。
…

不良どもが待ち伏せしていることはなかった。
それでも出発間際レストランの店主に、他の車と離れることは絶対にしないように言われた。
茂った草原に彼らが隠れていないか、びくびくしながら約100kmの距離。ぜんぜんたのしくない。

気が小さいからなのか車間距離について私はシビアである。
近いと感じるドライバーには後ろをむいて離れることを促している。

静岡ナンバーの地域は、車間が開いていてとても走りやすい。
全国の皆さんも是非静岡へドライブに来てください。
Mexico
97.Mexico

メキシコは金銭の国。
メキシコの道端で、男二人組に、鉄パイプで頭を殴られそうになった。
安易に考えていた。
ゲリラのコロンビアを走り、拳銃所持率世界一のグアテマラも抜けた。
メキシコなど、どうってことないと思っていた。
感覚が麻痺していた。
メキシコ人に道をたずねようとすると、必ずどこへ行くんだと先に聞かれる。
目的地は北だった。
メキシコ人は、それ以前に、どこへ行くかに興味を持っていた。
アメリカや日本からの旅人が多く存在する国に到達したことを改めて知った。
さて、メキシコでは面倒なシステムがあった。
permisoペルミソというバイク通行許可書だ。
ある程度の国ではこういったシステムはあったが、そのほとんどが入国と同時に自動加入で無料、もしくは数ドル程度の支払いで、手続きも簡単。
ところがメキシコのペルミソ(通行許可書)は自動どころか手動。
加入できる事務所は国境から15キロもあり、わざわざその事務所を探して加入しなければならなかった。
しかもペルミソの加入金はUS300ドル!超たけえ!!
しかもメキシコなのに、「「アメリカ紙幣」」での支払い以外は、受け付けないという!!
これは妖しい。現地語でオブニ。
おかしいだろ。だってメキシコという国でメキシコの金を受け取らないなんて!!
自国さえ自分の国の紙幣を信頼していないのか。
さすがメキシコ政府はU.F.Oを認めているだけのことはある。
この通行許可書を車体に貼っていないと交通違反でキップを切られるとのことだ。笑わせてくれる。
警官からはいつでも賄賂請求のメキシコで、違法だどうだと言われる筋合いはない。ペルミソがあってもなくても同じである。
ただ、いちいち軍隊検問で釈明するのも面倒なので加入することにした。私はマジメだ。
どちらにしろアメリカドルの手持ちがないので、銀行の場所を教えてもらった。そのあとすぐに食堂へ。
道端の食堂、このパターンは決まって腹を壊す。今回はだいじょうぶだったがどうも青空レストランは身体に合わない。
牛肉を喰いながらキドニーベルトの裏にしまっておいた隠し金をチェックした。エクアドルの両替商に掴まされた厚紙3枚。
ペルミソの加入金=メキシコの平均月収以上。
相当いい値段である。
あやしすぎる。
後々みていくことになるメキシコ国民の生活水準をみていると、ペルミソがいかに法外かがわかる。

メキシコなのに、アメリカ紙幣しか受け付けない事務所。
いいたいことは山ほどある。
とりあえず政治家への汚い金に違いないペルミソ代は、厚紙で十分である。べつに偽札とは言わない。
紙幣は受け取られ問題なく通行許可書という名のステッカーがバイクの風防に貼られた。
車用なのでガラスの裏に貼ってちょうどみえる工夫がしてあった。にしてもステッカー1枚250ドルは高すぎる。
ステッカーといえば世界のステッカーを買ってはバイクに貼りつけていたがメキシコ国旗は国の許可がないとステッカーにできないらしい。
通常、ステッカーは500円程度で買える。気に入ったところのステッカーだけを貼っていたので複重するステッカーもある。貼っていない国はメキシコぐらいか。モロッコなどはステッカーが安かったから土産にしようかと思い大量購入して、買ったそばから次々に車体に貼り付けたものだからモロッコステッカーは5枚も貼ってある。
しかしお土産にモロッコの国土をかたどったステッカーをあげても誰も喜ばないだろうと、おかげであげそびれた。大人の思い込みは不幸である。モロッコステッカーは今も家に大量に残っている。

さて、メキシコの道はひどい。世界の酷い道ファイブにランクインされる。
シベリアほどではない。その次の次だ。
アスファルトがめくれているのは日常茶飯事。
舗装していないほうがよっぽどいい。へたに舗装がめくれているとアスファルトの角にタイヤが乗るとバーストする。
元アスファルトと思われる廃道のような主要国道。。
時速10キロ前後でがったんゴットンやっているとバキッと大きな音がした。次の瞬間タイヤが擦れる音がした。
とまってチェックするとチェーンガードを留めるネジが溶接面ごと折れていた。この溶接部は新車当時からこんな弱弱しいのでいいのだろうか不安に思っていた部分である。

1997年式ハーレー新車購入から13年目にしてはじめて折れたのだった。
チェーンガードを荷物の隙間に入れようかと思ったが他のキャンプ道具に負担がかかるためクロームメッキを草原に投げ捨てた。
草原にはバンパーや破損した車体の一部がこれでもかと点在していた。
相当ひどい道であることがおわかりだろうか。相当ひどいんです。
こんな道が延々つづくと思うとバイクもワタシも持たない。なにか良い案はないかトラックドライバに話しかけると、近くに高速道路があるのを教えてもらった。
よし、高速道路!!
しかし高速道路も最低だった。穴ぼこだらけ。
これで1000円も徴収するのだから、首脳は一刻も早く交代したほうがいい。国民のためだ。
地図を持っていないので勘に任せて北に進んだ。
ところが北をめざしていたはずが東に走っていた。
道路標識がほとんどないのが原因か。
暑いとカンも鈍る。

そしてこのあと、世界一周で最も危険な出来事があったのでした。








