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シベリア林道  ハバロフスク~チタ

5.シベリアを走る人へ Russian Ruta muy mar 2500km
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なにもないよ
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ただ走るだけ
延々砂利道
毎日何日もこんな道を
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シベリアは走るだけ!



自分より遥か年下のバイク乗り少年に追いかけられ停止命令を受ける
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『 仲間意識 』 がとても強く感じられた東シベリア
精神鍛錬と向上心。

思い出を作りたくなったらもう一度走ってみるのもいい

おすすめします。
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ホームシック ~ウラジオストク=ハバロフスク~

4.consegir mi moto, en Russia
バイクを受け取り走り出したのが夕方4時。太陽は真上にあった。

ウラジオストックの市街地は、とても走りにくい。なぜならロシア道路の特徴のひとつに大渋滞。これを抜けるまでオーバーヒート気味数回。そして市街地を抜けると道の穴ぼこのオンパレードが続いた。
旧ソビエト時代に造られた道路という噂どおり陥没箇所が激しく続き、たとえばウラジオストック市街地を抜けてアムール川を越えるとアスファルトは悪路に変わり、ほんの20キロぐらいの間に、マンホールのフタがない状態のような陥没箇所が相次いだ。穴はアスファルトの欠けた部分が尖っているため、これらの穴に誤って入ってしまうとタイヤがバーストし兼ねない。

この穴がシベリア内陸の僻地に入っていくにつれ「100メートルに100個の陥没」、つまり1メートルに1個大小さまざまな穴が開いていることになる。それはこれから走るシベリア東部~首都モスクワまで延々つづくわけで、楽しめるかといえば、当然道ばかりに眼を奪われて走るので景色は楽しめない、それでもゲーセンよろしく穴避けゲームをマリオは楽しんだ。
まばたきしないで道を凝視していたため眼は大充血。
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ウラジオストクからハバロフスクまでの1000キロ
最後にカツアゲにあったのは中学2年の冬だったろうか。
忘れもしない三学期の終わりごろ、週末夜中に不良仲間5人で深夜の市街地を自転車で徘徊している時に原付に4人乗りしてる年上のヤンキーたちだった。
靴のかかとを踏んだヤンキー4人衆は3年上の金髪で、それだけでもびびるのに後ろ髪がやたら長く、ジャージ模様は龍だった。


今回ロシアで絡まれたのは、S’62年式マークⅡのヤンキー。
今では北海道でもみることのできない希少なセダンマークⅡのハの字に四人の大男
林道をガリガリ追いかけてきた。
車から降りてくるなり、四人のうち一番背の低い180センチの胸毛な熊男が遠まわしに金金と請求してきた。
原因は、たぶん道端で立ち止まって夕陽の写真を撮っていたからだろう。
写真には通りすぎるヤツらの車がしっかり写っていた。

黄ばんだケミカルジーンズ、白人特有の体臭がやけにきつかった。
やれ金をだせ、携帯電話(ロシア語でチリフォーン)など、色々請求された。こわかったです。

フェリーでロシア人に腕相撲に勝って以来、ロシア人をなめていたけれど、こんなことがあったため用心するようにした。
結局その日は夜遅くまで走り(無用心)、絶対人がこないであろう山中まで分け入ってキャンプをしたのだった。

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ハバロフスク市街に到着してホテルに泊まった。
ロシアにてホテルに泊まったのはこれが最後になる。
バイクを預けられるパーキングから一泊1万円するホテルまで一キロの道のりをPCやカメラなど盗まれたらイヤなもの計15キロを背負い、それがホテルを遠ざける原因になった。
だいたい一泊一万のホテルでお湯がでないってどういうことだw

近くのネットカフェでメールをチェックするも、2分経たないとみたいページが開いてこない。
写真のデータも送れず、持参したPCを使ってホテルの部屋でひとりデータCDを作成した。
のちにこのデータをシベリアの小さな郵便局から送るも、EUから送ったデータより三週間も遅れて家に届けられ、くわえてCDデータ内部は故意に消去されていた。
シベリアの最初の頃の写真があまりないのはこのせいです。


旅がはじまって三日目。
水シャワーを浴び、震えながら部屋はひとり。
残りあと5万キロ以上の道のりをイメージすると、いままでに味わったことのない強烈な孤独感に襲われ危うく我を忘れそうになっていた。
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inロシア ウラジオストク バイク通関作業

3.En vote amigas
船内で知り合った日本の学生さん、彼は元海上保安庁の職員で、現在はロシア語を勉強するため単身ウラジオストクに留学中だという。そんな彼にバイクの通関作業を手伝ってもらうことになった。

「珍しいロシア語の勉強になるから」

という、とてもありがたい言葉を戴きつつ、ビールなんぞを驕ってもらいつつ、なんか世話になりっぱなし。ロシアでは英語を話せる人がほとんどいないので助かる。

しかし、それにしても通訳してくれるひとがいるというのに、ロシア人以外の外人はロシア税関のみならずロシア国内では立場が弱いらしい。代理人にロシア人をつかって通関作業を進める人もいるが、じつはそれが正解で、そんな彼らはすぐにバイクを受け取れるようだ。ロシア人を雇えば簡単なのに対し、私たち日本人だけの場合は通関所に行ったその日、「ニェット」 これロシア女性の口癖ですね、話の一番初めに否定するのがロシア女性の特徴らしく、バイクはまだ船の中という、ありえない情況を説明されたのであった。ふん、ふん、なるほどね。よし通関は門前払いを受けてしまったのでビールを飲みに沿岸沿いのビアガーデンに。そこには水着の女性がたくさんいて、とりあえずロシア人と話したい私は声を掛けてみる。「ザグルジーチ、ハラショー、コンビール」
知っている単語は20ばかりに増えたが、あえて意味不明な単語を並べてウケを狙った。それが的中して色々お話をさせてもらった。18歳女子高生二人組、ニェットの使用頻度はたいしたことない。

さて、バイクの通関。
なかなかうまくいきません。
ロシア国の体制特質を知ることができた。
写真がたまったのでCDにデータを焼いて日本に送付するもCD内のデータがすべて消されていた。後のお話に出てくる超面倒なシベリア東部の林道で道に迷い、ロシア人に道を聞いて案内してもらうと「案内したんだから酒驕れ」とか、
普通日本の政治ではまず考えられないことがありすぎる国だった。

結局、二週間前に、やはりバイクでロシアに渡っていた、大阪の友人からの情報も役立ち、日本人のおかげで速やかに通関をおえることができた。
通関作業を無料で引き受けてくれる業者がある。

最初からそこ行けばよかったのだが、大阪の彼から聞いていた場所がまったくわからずようやくたどり着いた感じ。ニェットニェットニェットが口癖の女性がいるオフィスへ。

バイク通関が終るまでホテルに滞在。部屋予約が取れておらず、それでも泊まれた。
最悪なことは寝室の真下がディスコになっていることだった。
眠れたもんじゃないロシア憂鬱。
バイクを夕方受け取り、荷物をまとめて飛び出した。
神風のステッカーがロシア人の年寄りの目にとまった。
複雑な表情の爺さんは戦時中の日本のことを、神風ステッカーを眺めながら語っていた。

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富山~ウラジオストック行きフェリー

2.Mi pais salida
日本から出航するのにはバイクの税関があった。
これは通関会社にお任せしたのだが、超簡単だった自分でもやれた。
ロシア入国後は自分でやろうと決めたのだが・・これが苦労の始まりであったの。

富山県からロシア・ウラジオストック行きフェリー。
豪華客船、ロシアの基準では。

メシは評判どおり最高。
バイクを虎ロープでぐるぐる船のフレームに縛り付けていたことを除けばハラショー ロシア基準。

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いざ出発。泣く子黙る子港に、
一円玉を日本海へ投げ入れるロシア人、涙をためて綺麗な日本さようなら。

フェリー内には日本人は5名いた。
ウラジオストクに移住している人、学生さん、旅行者。
日本人以外は乗組員ふくめ、すべてロシア人だった。

「体臭と香水からなる憂鬱な香りは海外の雰囲気を更に引き立たせる。
ロシア語を少し勉強したおかげでロシア人と少しだけ会話を楽しめた。
モンゴル系が多い。

ロシア人の若者と腕相撲、勝者となりワイン頂く。鍛えた甲斐があり、それは同時にロシア人をナメてかかるキッカケになった。このあと続くロシアへの道のりに油断を落としてくれようとは・・・。

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世界一周直前のこと

Todo mundo para moto

ここでは大型バイク・ハーレーダビッドソンで世界一周したことを書こうとおもいます。
 2008/6/3~

記録として書きます。

カスタムしていたハーレーをノーマルに戻し始めたのが前年冬からだったでしょうか。
なれ親しんだパーツ以外ほぼ完全に買ったときの状態に戻したのは春でした。

そしてさらにカスタムは進み、バイク前方に貼ってあった北方領土返還祈願のステッカーを隠した。
ハーレーのロゴもサンダーですべて削り落としたのです。
(ロシア人はアメリカ製使用者に厳しい対応をするという噂があったため)


さて、さっそく出発直前。

バイクの不調でバイクが走らなくなってしまった。
ガソリンが流れてこないのが原因で、その状態が出発二日前まで続いていた。

そして、なにより世界一周の憂鬱はバイクのみならず私みずからの身体にも感染していた。
その症状はジンマシンという表現的にわかりやすい赤い斑点に表れていた。出発数ヶ月前、各マスコミや友人たちに『世界一周する』と言っていたのがプレッシャの原因だろう。これで世界一周できなかったとでも言ったら痛い子になってしまうので、必ずやってやるという気持ちが裏目にでたのかもしれない。

どこの病院へ行ってもジンマシンの原因がストレスとはわからず、やれ帯状疱疹だ、ダニが寄生する疥癬だ、インキンだ、言いたい放題だった。そのおかげで塗り薬のストックが12本も貯まり、これでどんな虫刺されも平気と高をくくったのだったが…。


そして出発。

母親の「赤紙がきた息子を戦地に送り出すようだ」という言葉を胸に、絶対生きて還ってくる。

家族や友人、極力減らした90キロの荷物を載せたバイクは、フラフラと巨体を揺らしながら、私含めた総重量510キロの大移動は始まった。

頼りないです。

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プロフィール

masatorakun

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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