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北極圏 Fijord

15.El northernmost, Mas norte
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北極海は空の色が違った。なにか薄ぼったいというか、10年以上前にみた夏の北海道の空に似ている。よくわからんけどいま走ってる道が過去のどこかの土地のことを思い出させてくれることもよくあることで。
フィヨルドの夏は天気が悪い。
が、私の走った日はずっと晴れていた。フィヨルドin前日までずっと雨が続いていたらしく、久々の晴れに薄着の人間が目立った。私は薄着では居られないほどありったけのジャンバーを羽織ってブルブル震えた。
景色はこの世の果て。三日も続けて同じ場所で景色を眺めながらキャンプした。海を挟んだ対岸の小高い岡には低木の草原を食むトナカイがウジャウジャいて、遠くにみえるんだけどなぜか近くにみえて、微妙に動いているんだけど模型のように小さかった。すぐそばに川が流れていたので連泊の決定に相成り申し候。
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このころになるとキャンプが楽しくなった。蚊もいないし、こわい人もいないはず。広大なフィヨルド海岸線は広場もたくさんあってキャンプ地を探すのにも苦労はない。道もフラットで気持ちも平常心を取り戻せた
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ノルウェー Norge

14.EU or Russia ,Personas diferencia

ノルウェー。北極圏。北緯71度。
世界最北「ノールカップ岬」
極地であるがゆえ観光地というのは物価が高い。2500円もだしてパンとサラダを食べたのが一番の食の思い出だ。
家でみそ汁だけでいいからまんまくいてえと思ったもんだ。
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フィンランド Finland

13.En Russia Vamos adelante
ロシアを出国するときがやってきた
それまで天気のよかった空の向こうに激しい雨雲。、いまにふる、ぜったい。
国境ではロシア特有の大渋滞がおきていた。それはロシア人の大好きな大渋滞。私は車の列を抜けていった。誰も文句をいわず、むしろクルマから手を出して「イケ、イケ」という仕草をしてくれた。EUが待っていた。
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さて、それにしても渋滞である。フィンランド国境まで20キロぐらい渋滞だったろうか。ロシア国内ではウラル山脈をはじめ、とんでもない渋滞が次々おきていたのでお役人。

片側一車道を、あきらかに過積載トレーラーが上り坂でオーバーヒート。その場で立ち往生していると後続のトレーラーが反対車線にはみだしてトレーラーを避ける。すると反対車線の渋滞中のクルマがトレーラーの邪魔をするようになぜか譲ろうとしない。トラックは無理にでる、対向車線の車間距離縮小、トレーラー結局すきま足りなくて交わせない。トレーラーが進むだけあとを着いていった後続車はバックできない。対向車も同様。大渋滞で全面通行止。5時間。計画性なし。

私は?バイク、すりぬけ。抜かすよね普通。
しかし気が急いで追い越し禁止の対向車線にでようものなら、最初から追い越しの名所で交通ケーサツが待っている。
そして、私は停められる。
うだうだグチをはく、許してもらえないる、る。この曖昧さが金額にしたらとても小さいチップを「態度」で要求してくる。渋滞のもたらす構図はロシア体勢を大きく改善に導く特有の思案材料だったろう。現状は2001年頃にくらべたら役人も落ち着いたそうです。
車社会の絵ですね。

さて、ロシア出国。
数名のヨーロッパ人が先に出国をすませているその用紙をみつめて真似をした。税関職員に対してヨーロッパ人は比較的腰の低い感じがした。それが賢明だろう。
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私の出国手続きは、予想に反して簡単だった。
税関職員は簡単な挨拶もできない私をすぐ出国させてしまった。
初の出国手続きは緊張して、すぐさまフィンランド入国手続き。その手前にはロシア軍最後の検問。カラシニコフを構える軍隊が数名、笑顔で「気をつけて」

さて、フィンランド。
中世から先進国の国では自由のようで自由でないことがたくさんある。
ある程度の「自由」は自己責任程度で、みかえりは「マナー」といったところか。
まず私の被るヘルメットがフィンランド国内では禁止されているそうで、このヘルメット問題については以後EUにて数回モメた。
「いますぐ新しいヘルメットを買ってこなければ入国させることはできない」
「ノー、ワタシ、金ない」
「ヘルメット買ってきなさい」
「ない、ない」
「買ってきなさい」
「ない」
「買ってきなさい」
「ない」

この税関職員はしつこかった。このAがいなければすぐ入国できたはずだ。
面倒なので隙をついて入国スタンプとバイクの保険加入を別の職員にやってもらった。国境手続きに2時間ぐらい掛かっただろうか。Aが戻ってきて、ヘルメットはヘルシンキで買うということで意見一致。日フィバイク友好条約勝手に。

フィンランドに入ると道がフラットで、そして次第に雨模様になっていった。
とんでもないスコールに見舞われ、以降フィンランド国内で晴れることはなかった。まだ道がよいだけマシだった。視界5メーターの大雨はカッパも着ていない私に戦慄な寒さをくださりました。

道を訪ねてハーレー屋に寄ってオイル交換を頼んだら二日待ちだといわれ、仕方なくガソリンスタンドに立ち寄り自動支払システムに現金を。4000円いれて1000円しか入らなくても釣り銭などでてこない。しらなかったのでEU講座3000円也。ヘルシンキの一気にヨーロッパ。町並みも西洋の石造りがモダンでクールな感じを誘う。

 さっそく北極圏めざして北上を開始した。北上すると一時雨はやんだ。ロシアに比べたら、あまりにも道がフラットで睡魔が襲った。
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ロシア最後の町 ヴィヴォルグ Ultimo Russia ciudad

12.Vivorge ヴィボルグ
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ヨーロッパに近づくにつれ、ヨーロッパからのライダーが目に付くようになった。
彼らは極東シベリアで出会った白人ライダーとは少し違い、仲良くしてくれる素振りがあまりなかった。
これも他のライダーの多さからくる、日本でいうところの面倒な近所づきあいみたいなものだ。
私はそんな状況にかまわず、久しぶりのヨーロッパ人に次々話しかけた。
寂しかったんだとおもう。

ヴィヴォルグという、レニングラードの北に位置するロシア最西端の町がある。
ちいさなロシア製の車に身をかがめて乗るロシア人、こじんまりとした家に住むのがポピュラーなロシアにとって、ここヴィヴォルグの街だけは正統派の西洋の雰囲気だった。古いビルディングの町並みは社会主義国家のなごりで色付けされていなく石むき出しの灰色だったが、街行く人々はロシア国内中みても、いままでにない笑顔をみせてくれ、英語を話せるひとも少数いた。

ロシア国内あちこちで声をかけてきた売春婦も小奇麗な服装で英語で話し掛けてきた。どうやらロシアでは日本人は良い客らしい。修行中はセックスしないと心に決めていたが、興味があるのはその値段である。ヴィヴォルグ娼婦はヨーロッパ同等価格でびっくりして、もうヨーロッパに近いのだなと実感した。物価も相当なもので食事するのに2000円もかかった。完全にヨーロッパだ。
のちにパナマで知り合ったフィンランド人に話をきくと、このヴィヴォルグは元々フィンランド領で、大昔戦争に負けたときロシアに取られたのだといっていた。
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北極圏に近づくと蚊が大量発生。
このヴィヴォルグの町では顔を覆うだけの蚊帳を入手した。
その関係もあり、ロシアをでる前にロシアの汚れを落とすことにして、久しぶりのホテルにチェックイン。
二泊しようと思ったが、一泊1万円もしたため一泊でホテルをあとにした。道に迷っているとウラル製バイクをカスタムした西洋風パンク兄ちゃんが道案内をしてくれた。
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この旅始まって以来初となる女性に声をかけられ、一緒にコーヒーを飲むことになった。彼女にバイクにサインを書いてもらい、バイクは二人乗りできないので待ち合わせの喫茶店を決めて先に行って駐車場で待っていると、先客のロシア人男性から、さきほど女性に書いてもらったサインを指差され「このサインを書いたのはだれだ」と聞かれた。なぜだと聞くと、「サインのヌシは売春婦で、しかも性転換した男だからきをつけろよ」、と言われた。

それを聞いて、なんだか気が抜けたおかげで気楽に女性(男性)と話すことが出来た。
性別なんてどうでもいい、大切なのは異国人と話そうとする心意気と優しさだ。
ちなみに彼女(彼)は私に売春を進めるでなく、旅の色々な話を聞きたかったようだ。
シベリアのことをすごく聞かれた。
ヴィヴォルグからシベリア東部まで10000キロもあるのでロシア人でもシベリアに行ける人は少ない。

彼とは住所交換をして、そしてロシアをあとにしたのだった。


スウェ-デン人 Swedish

9.Swedish persona

スウェーデン人のラッセおじさんと別れて数日後、再会することになる。GSで休憩しているとみなれたBMW。再び会うということは、よほどの縁がないと不可能。我々はなにをいうでもなく二台で走り出した。
彼はBMW1200R。性能的に劣っている私のハーレーを先行させてもらう、その走りは出会ったときから決まっていた。
朝から晩まで延々同じアクセルワークでスピードの差を出さないように走る。平均時速90キロ。15時間走ると、一日平均800㌔前後走ることができた。ただし、走りのペースをあわせてもらっている以上、ラッセの望みどおりホテルに泊まることもあった。

ホテルに泊まらない日はロシア人が観光名所で使っている綺麗な河川敷へ降りて行きキャンプをした。
まず谷へ降りていき、ラッセとオレは全裸で川に飛び込んだ。涼しい顔をしていながらも、じつは水面下ではひっきりなしに手足を動かし身体を洗うという、ワイルドなウソツキになった。そしてそのまま人に見つからない茂みに入ってキャンプをした。
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人種も年代も文化も違う人間と、互いに異国の地で不安と戦いながら生活を共にする。
世間体からいえば、とてもじゃないがお勧めできない状況ではあったが、思想の自由や発想の転換に今後とても役立つ気がする。
経験から学べることは学校の勉強より遥か上をいく。

最近の日本人の、白人のイメージというのは「自由」というより「大雑把」が先行するかもしれない。
しかし白人のなかにも当然優しいひとがいて、繊細な心をもつひとも大勢いる。
国によっては、と予め付け加えておくと、スウェディッシュは白人の良い部分(ここでいう発想の自由)と、日本人と同じような繊細さを合わせ持つ。
ラッセのおかげで私はスウェディッシュが大好きになった。

ラッセとはモスクワの手前で別れた。
彼はミネラルウォーター会社の社長といって名刺を渡してきて、スウェーデンにきたら家に来るように言われたが、旅の最中彼とふたたび再会することはなかった。

ラッセはスウェーデンの実家から中東を抜け、そしてモンゴルを走りバイカル湖で私と出会った。
遠い空間を走り抜けた私達はいまでも友達だ。

ロシア語

Un lago mucha grande en Russia
ロシア語。
バイカル湖で出会ったスウェーデン人のラッセとはそれから数日で別れた。キャンプ好みホテル泊まりでは焚火ができない。
そんな彼は、ロシア人とは英語で話そうとしていた。
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ロシア人との英語の対話は不可能に近い。そんなこともあり、せっかくなのでロシア語話そうよ友の会というものをラッセと作ったのである。会を開いて8時間、ついにラッセの口からロシア語を聞くことができた。ガソリンスタンドで「スコーリカ?」と言っていた。幾らですかという意味。ロシアのオバチャンでヒステリックな性格にあたると最悪、このときラッセを接客したまさにそんなオバチャン。ずっと舌打ちしていたオバチャン。ラッセは首を左右に振りながらやれやれといった表情をしていた。せっかくロシア語はなす気になったのに舌打ちで台無しだ。

その数時間後、久しぶりにでてきた大きな街クラスノヤルスクで「オイル交換をする」という名目で我々は別れた。私はオイル交換をして、服を買って、手紙をだした。手紙の中身には、写真のデータを入力したDVDを同封した。先にも書いたが、日本に帰ってきてDVD内のデータを確認するとすべて消去されていた。これがロシアの体制なのだとつくづく常識の違いを見せ付けられた。
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ドランク・ルースキー

8.muchas cerveza
ライダーとは一度もすれ違うことのない最難所ともいえるシベリア林道を抜けると、欧州からのライダーを毎日2回ほど見かけるようになった。時々すれ違う欧州ライダーのほとんどがホンダかBMWのライダーで体格にもマッチしている、そのほとんどがマッチョな2名~5名の団体。
楽しそうに私に手をあげて通りすぎていく。

そんなある朝、ガソリンスタンドでカップラーメンをひとり寂しくすすっていると、1人のライダーが給油しにやってきた。バイクはBMW。フルフェイスの下は確実に笑顔で、話す前から一気に仲良くなった。彼はスウェーデン人の50歳おじさんライダーだった。
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シベリア・キャンプ

7.Sol poniend a carpa
日が暮れるまで走り、あたりが暗くなると、ヘッドライトを消し、前後左右の車の流れに注意を払いながらサッと素早くタイガの森へ。

キャンプ生活では動物避けの焚火は重要な役割だったが、人にみつかるとめんどうだから必要最小限の炎でシベリアの夜を過ごした。
狼か野犬の遠吠え。

早朝。太陽が登り始めるとテントをたたんで素早く出発。
シベリアは毎日こんな日。
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体力がないと続けられない。
隣の家の支柱を利用して懸垂20回×3セット、腕立て100回×3を、4ヶ月続けた。
出発前は胸囲95㎝あったのに、帰国して半年もすると87cmにしぼんでいた。

旅に出ると体力的にも精神的にも飛躍的に発達する。
そして、まるで超能力のような冴え渡る勘を手に入れることができる。

それが帰国すると次第に超能力は消え身体もしぼむ。
今やれることを今やらなくなったり、弊害というか、これが普通なのかもしれない。
だからまた旅に出たいんだと思う。


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バイカル湖

Esta roto mi moto
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舗装道にでてからも、時々はジャリミチに変わる。
それでも一気に走りきったシベリア林道の後なので、50キロ程度の林道は簡単に抜けられた。
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シベリア林道では下回りのガードが粉砕した。


6.さて、林道もおわりバイカル湖に差し掛かると、あれほど蒸し暑かったシベリアが嘘のように冬になった。
気温は6度。前日の38度と打って変わって厳冬期に入った。

じつは温度計を持参してツーリングに出かけたのだが、この温度計100円ショップで買ったもの。信頼はおけるがあまり見かけなかった。いつもどこか隠れているので捜索願をだした。見かけることがなくなって半月、どうでもイイ場面でヒョッコリでてきてその存在を誇示する。とにかく怠け者の方位磁石で私自身を投影しているような倦怠感を感じていた。
最終的に無事世界一周から帰ってきた方位磁石は今、世界一周している友達にプレゼントした。その友達は今回バックパッカーで旅をしているカメラマンで、他の友達からもシルバーアクセサリなど餞別をたくさんもらっていたが、あれはかなり危険な気がする。貧乏な国でピアスをしているだけで耳を切り落とされる、ヒカリモノの指輪などしていれば指を切り落とされる、そんな噂をよく耳にする。彼は海外への旅の経験があるから隠し持っているだろうけど、少し心配しながらも高価な方位磁石と温度計セットを餞別に手渡したのだった。また所有者にはアテにされない仕事をしてくれるだろう。


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バイカル湖近辺には有名な魚の干物が数多く売られ、同時にバイカルアザラシの毛皮帽子が売られている。HPyou.jpg
そして、オレの大好きな山菜も売られていた。その山菜とは行者ニンニクである。北海道ではポピュラーな山菜だが、本州では滅多にお目にかかることは出来ない幻の行者ニンニク、またの名をアイヌネギと呼び、行者や原始人からは非常に重宝されているゲンキの源である。

この植物を道端で販売していた家族がいた。その家族構成は、父母そして娘の3人家族。みな背中には大きなリュックサックを背負っていた。話に寄ると彼らはこの初夏の時期だけ山に入ってキャンプしながら山菜を集め、その山菜を路上に出て販売する。それが年間の収入のすべてだと言っていた。娘はもちろん学校には行っていない。
そんな話をきいて行者ニンニクを買わなければとおもったものの、値段100円とロシアでは考えられないぐらい高価だったため買うのをやめた。
それから翌日からは毎日行者ニンニクをみることになった。路上で売るオバアサン、幼児など。毎日買った。
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100円程度と、高価なものとしてロシアでは認識されていた行者ニンニクだったが、仮に1束50円と安く買えばそのぶん余計に金をせびられた。
毎日レストランで午後15時にその日いち日の食事をいっぺんに摂取し、夜は行者ニンニクの束を茹でて酒と共に栄養補給をしたのだった。



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プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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