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バイク盗難 旅おわる    ?

27.Spain la costa y desierto , Robo mi moto

ピレネー山脈を登ると、そこはスペイン王国領。繧ケ繧、繧ケ繝輔Λ繝ウ繧ケ+(385)_convert_20091129133448

フランスとの国境には機関銃を持った警官隊が立っていた。
Girona ~ Barcerona ~ Valencia
地図上は海沿いの道を走っているのに、海などどこにも見えない。

つい先日まで氷河のスイス山間地にいたので太陽の国スペインの暑さには参った。
気温20℃前後のフランスNimesを抜けた時点で38℃、ここまで上がりこんだ気温に大量の水を一気に一リットル以上喉に流し込んだおかげで腹の具合が悪い。パーキングの厠により難を逃れた。スペインは治安が悪いというイメージがあったのでバイクに群がるスペイン人に警戒した。この固定観念は一体どこから来たのか分からない。南米大陸を植民地にしていたからなのだろうか。


写真撮影どころか、バルセロナのサグラダファミリアどころでもない。
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とにかく暑くて体力を消耗した。水をたらふく飲み、メシを無理に食べた。

立ち寄ったP.Aのメシはバイキング形式で20EUR 日本円で当時3300円もするものだった。白米がサラダとしてあったのが非常に不味かった。その白米は少し砂糖を加えており、冷たいトレーに並べられ、無理をしたサラダといった感じだ。久しぶりの白米に心躍ったのも束の間、アジアの心白米をまずいと思うのは最初で最後にしたい。
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ハイウェーのパーキングでの食事を終え、バイクに戻るとバイクがなくなっていた。
どこへいった私のバイク
ああ、私の旅は遂におわったか




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アルプスの少女

26.France un senorita
お世話になったひとの制止を振り切るという贅沢な旅立ちの日がやってきた。
アルプス山脈を横切る。標高の高い道をウネウネ走る。
ベルネール・アルペンルートは標高3000m以上のガードレールのない山岳ルートだ。
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夏なのに手袋をしないと手が凍える。晴天で良かった。
モンブランなどの4000m級の峰がそそり立つ。エーデルワイスという品種が最高だ。
そのへんのガソリンスタンドでパンと肉を買い、GS脇の草原でそいつをサンドして貪る。
道ゆく人々の冷たい目線を感じた。
納豆のことを思い出しながらパンをかじり、地図をみる。地図を見だすと延々止まらないのはなぜだ。
3000m級の峰峰に名前がついていないのがその程度という意味なのか、不思議だった。
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シオン~マルティグニーと山岳地帯をぐるりと謳歌し、いつのまにかフランスに入国していた。
無駄を省いたスイスの雰囲気と、ヨーロッパらしい町並みのフランスでは、国境を挟んで一変していた。
偽花を出窓に飾るスイス民家、無色石造りのフランス民家。

山岳地帯の盆地グレノブレという町に降り立つと、急激に寒さが増した。
気温は15度ぐらいだろうか。
スーパーで買い物をしてキャンプの準備を計った。
スイスではトマト一個で値段を決めるが、フランスではトマトの重さで価格決定をする計算法だ。
スイスの友人たちにご馳走になったサーモン魂に火がついてしまったため、サーモン300gとチーズ、それに酒を買った。日本酒があれば迷わず買ったが、しぶしぶビールを買った。夜にはキンキンに冷えるだろう。

買い物を済ませたスーパーの外で荷物の隙間に買い物袋を無理に押し込んでいると、クスクスという笑い声が聞こえた。振り返るとそこには眼を疑う美女が立っていた。
名前はエミリー。細身のフランス女性だ。
「だいじょうぶ?」
荷物の無理な押し込み具合が気になったのか彼女は苦笑して話し掛けてきたのだ。
じつはフランスという国は冷たくて合理的な国民だと感じていた。それはフランスに限ったことでなくドイツやスイスなど北欧を抜かしたヨーロッパは合理主義が貫かれているような錯覚を受けていた。それは道を聞いてもそうだ。スペインまでの道をフランス人に聞いても、私が理解するまで説明してくれなかったからだ。あの道を左で右で左といった感じだったから冷たい国民だろうなという感じがしていた。
ところが山岳地帯に住む人々というのは合理的ではあるが楽しいものには時間を掛けて楽しむ体質があるようにおもえる。彼女もそうだったのだろう。
「いまから母親のために夕飯をつくりにいくのよ。母親は独り暮らしで体が弱いの」
彼女の優しい笑顔は私に癒しを与えた。たった10分程度の会話だったが、女性と話したのは17世紀末以来だったので、とにかく癒された。
連絡先を聞くわけでもなくエミリーとはそれでさよならした。あとで後悔した。
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世界を一方通行する私にとって、出会う人すべて一期一会。
もう一生あうことはないと思うと、ひとつひとつの会話を大切にしなければと思った。

スイスのメシ

25.Swiss comida
 
さて、ランブラーズには世話になりっぱなしだった。
いろんなところに走りに連れてってくれたり、あらゆるバーをハシゴしたり、、
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とくに毎晩、豪華な夕食を用意してくれた。
サーモンであったり、アジア好きのエドガーが日本の醤油を持参してくれたり、ドイツ同様のソーセージだったり…。そのどれもがマルコの調理で最高の味だった。
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そんななか、一番印象に残った彼らスイス人の料理は、なんといってもチーズフォンデュだろう。
本場と聞けばヨダレが流れる。
エドガーの車で食材を買出しする。
ガソリンスタンドに併設されたスーパーで、フランスパンとチーズを大量に買う。

チーズフォンデュの支度を始めるメンバーたち。
冬に三度も食べるらしいチーズフォンデュに、なぜかクラッパと呼ばれる果実酒を大量に入れている。
正式名称はスベチカウロウズといって、農民達が飲む度数50%の強烈な酒。それをドバドバ入れて、チーズを溶かしてできあがり。パンをチーズにつけて食べると速攻で酔いがまわった。
チーズフォンデュでベロンベロンである私を尻目に、古参メンバーのエドガーとジャック、それにマルコは、更にスベチカウロウズにウォッカとコーヒーを混ぜてガブガブ飲んでいる。信じられない。

彼らは酒を飲んでもグチや不満は口に出さないが、唯一他国の悪い部分を。それはドイツのことだ。
ドイツ人は喧嘩が大好きだから合わないらしい。スイス人は穏やかでとても喧嘩など好きではない雰囲気なのだ。
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色々な国籍の旅行者のなかで特に日本人とドイツ人によく会った。
確かにドイツ人はプライドが高いように思える。
それにしても隣国を毛嫌いするのは、本当にどこの国でもいえることだ。
我々日本人は韓国や中国を軽くみている傾向があるが、もっと仲良くすれば国境に関わりなく遊びにいける。
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そういえば、スイス人は No のことを ナイナイ と首を横に振った。
この言葉こそ世界はひとつという証。
ダメなことはダメ、良いことは良い
その基準が違うから世界で喧嘩が絶えないのかな。

Schwyz

24.Swiss Siebnen繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(149)_convert_20091113221524


スイスで世話になっていたRamblers M/C
メンバーのなかでも見習いのマルコはちょうど夏休みということで、毎日朝から晩まで私の世話係をしてくれた。
マルコの夏休みは私が滞在した一週間に調度当っていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

「近場に静かな場所があるから走りに行こう」
マルコの誘いで絶景とやらを見学に。繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(154)_convert_20091117092320繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(200)_convert_20091117092745


小さな町を二つ越えて山に入っていくと、とんでもない絶景がそこにあった。
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観光客のいない地元の穴場である。カフェには顔見知りの地元の家族がすでにビール片手に一杯やっている。繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(191)_convert_20091121175509繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(190)_convert_20091113221341

マルコは私と居づらいのか、しきりに携帯電話で誰かと話している。
その電話、よく聞いているとM/C古参メンバー、ジャックとの会話だった。
ジャックはクラブ創立当時からのメンバーでチョッパーが大好きなおじさん。
スイスでは道路交通法がかなり厳しいのでマフラーすら直菅にできず、イーグルハンドルを付けられない事が悲しいことをジャックは常々言っていた。「だからオレはこれなんだ」と、ハーレーのエンジンを積んだスポーティーバイク、ビューエルに乗っていた。
30年以上前からの愛車はガレージの中でその時を待っている。もちろんマフラーは直菅、天にも届くイーグルハンドルだ。
ジャックは、マルコに夕飯の注文をしていたのだと思う。マルコは電話越しに爆笑しながら「それはむりだ」とドイツ語で言っていた。ドイツ語はテノールやバスの楽曲を聴いているようで聞いていて心地よい。海外では上下関係があまり明確でないのでマルコのような見習いでも先輩に言いたいことをハッキリいうのが良い。私も海外でならM/Cメンバーになれるような気がする。繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(212)_convert_20091117092508


マルコとミルコは見習いということで、メンバー全員の夕飯を作る役割を担っていた。
その他の見習いの仕事はクラブハウスの掃除など家事全般だ。
家族あってのM/Cでなく、メンバーあってのM/Cだ。
週一の定例会議、プロスペクト教育、週末の定例ツーリング等々。
海外のM/Cは趣味を超えた領域におり、それはまぎれもなくファミリーだ。
家族同等、もしくは家族以上の付き合いだからこそ30年以上も看板を守ってこれたのだと思う。


一通り絶景を官能したあと、高速道路でクラブハウスへ帰路についた。
スイスの高速道路は、他のヨーロッパ各国と違って料金所がない。
そのかわり年間通して高速料金を払うシステムになっている。
年間の高速料金支払いと同時にステッカーが配布され、それをバイクに貼って初めて高速道路を走れるようだ。
このステッカーがないとスイスでは道交法違反になる。
一年の高速道路使用料40フラン、ステッカーがないことで警察に捕まると100フランだ。
旅行者は基本高速道路と並走する下道を走る。
スイス国内ではめずらしく警官に停止命令は受けなかったが、私のバイクのマフラーやヘルメット、高速道路年会費を払っていない等、スイスは道交法が厳しいので走るのをはばかった。
自由っぽい国にもそれなりの拘束がある。
『 やるべきことをやってからの「自由」』という点ではヨーロッパもアメリカも似ている。
言い方を変えるなら『 やるべきこと100% → やること100% 』 なのである。
やるべきことを100%やっても、やらないとイケナイことが後から後から追加される日本の社会と違い、先進国には余裕がある。
それは大自然の姿にも表れている。
日本と海外の大自然の決定的な違いをみるには森林が手っ取り早いだろう。

スイスの森林はすばらしかった。
アルプス山系はあらかじめ、後に手入れすることなく森が自力で森林を作り出すように余裕ある植樹方法がとられていた。それは隙間であったり、伐採に適した道路沿いであったり、歩きやすいところに植えるであったり、無理して標高の高いところは原生林そのままだったり、とにかくなにがなんでもガムシャラに植え込む方法がとられていない。このスイスアルプスにくらべて日本の森林事情はどうか。日本の植林文化は衰退の一途を辿っている、その理由は隙間なく植え込んだ杉ヒノキを手入れすることなく放ってしまうことから始まる。間伐をしないことで森に光が入らず、杉一本どころか森全体にダメージがでてきている。
日本の森林は余裕がない。
まさか森の現状がそこに住む人々の幸せすべてを左右するともいえないが、幸せを実感する法則というものがあるとすれば、税金が国民に還元されるという表面的な事実の他に、自然が自然らしくあることのように思える。繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(28)_convert_20091121180514
大自然は金にしなければ無駄なだけという思想のもと人間の手で改良し尽くし、国民自身も植林のように並列、こうでなければダメという「一本のレール」を、日本は完璧なまでに敷いている。
幸せはシステム化された並列な日常にある、そう考えることを最善とする国土約8割の日本の山の現状は、古きよき時代に戻すことが必要とされている、日本国民をみているとそう感じる。
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Siebnen in Swiss スイス

23.From Friends to friends
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友達の友達だからといって、みずしらずの家を訪ねることはしたくない。電話番号を教えてもらったらそこに行く?一応、そんな行為ははばかっている私だが、スイス人と知り合う機会も今後ないと思うと、訪ねたほうが得策と考えた。

丸いテーブルを囲む、海の家にあるビニールの椅子に座る大男二人組。
ビニール椅子の足がカクカクして今にも折れそうだ。
「やあ」と声を掛けると「なんだ?」と無表情に答える二人。

彼らはマルコとミルコ、バイクチーム・ランブラーズモーターサイクルクラブ(以下M/C)のプロスペクト見習い。
「さっきカールに電話してランブラーズに会いに来た」
そう伝えると男は無表情のまま携帯電話でカールに連絡を取る。
私の言ったことに相違ない確認が取れると、2人は笑顔にかわった。
この雰囲気こそミリタリーというかヤクザっぽい。
これが本物のM/Cだと思った。
ランブラーズは結成30年の節目をむかえていた。
日本にもこれほど長い歴史のM/Cはほとんどない。

すぐにビールと炭酸水がでてきて、飲ませていただいた。
今日は木曜日だった。
しばらくするとM/C定例会議のためメンバーが全員揃った。
そのなかには結成当時からいるメンバーもいた。

「私たちはノーマルな人間だ」
見た目とちがう口癖。
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クラブハウスに滞在させてもらったスイスでは、ほぼ毎日雨が降った。
降雨量に比例してビールの本数も増えた。
昼間からビールを飲むのはスイスでは普通のことだ。
近場で働いているM/Cメンバーの数名は、毎日昼休みにクラブハウスにきてビールを二本飲んで仕事場にむかう。
別に怒られるようなことはしていない。
やることやればあとは自由なのだ。
そのあたりがシステム化された、本当の意味での先進国のような気がした。

何日ぐらいいただろう。
私の棲家はゲストルームと呼ばれるベッドがたくさん並んだ部屋。
居心地がよすぎて、しかし長居するのも気が引けた。
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私は「明日、出発するよ」
「なぜだ、明日は雨が降るから明後日にしろ」
そんな言葉に甘えてしばらく滞在していると、やはり気が引ける。
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「明日こそ出発するよ」
「なにを言ってる?明日は雨が降るぞ。半年ぐらいスイスは雨が続くんだ。住んでしまえ」

そうは言っても二日間滞在したら出発する予定だった。

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フレディとエドガーと酒場にて

Schweiz スイス

22.Swither land

オランダからスイスまで約1000㌔。
この中途半端な距離を一日で走るのは大変だ。
一日の走行距離500kじゃまだまだ足りなくて、650kで少し物足りて、800kで腹一杯、900k少し限界、1000k疲れる。
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午後にバッテリー交換を終えたその足で一路スイスにむかった。
ドイツ。Essen~Koln~Frankfurt am Main~Mannheim,そしてチューリッヒ。
スイスにはジュネーブなど有名な街がいくつかある。そのどの街もドイツやオランダなどと比べて質素で地味な感じがして、開校100年近い学校の旧校舎のようでなんとなく懐かしい雰囲気だ。

私の手には、電話番号が書かれたノートの切れ端が握られていた。
その番号はペルと同じランブラーズモーターサイクルクラブのスイス本部のカールという男のものだった。
ペルとの別れぎわに手渡されたものだ。

私は自然の宝庫スイスでキャンプしたかったので、この番号にかけるのを最初嫌がった。
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電話に出ないでくれればまた走りだせる。
そんな気持ちでガソリンスタンドの電話を借りた。
カールはすぐにでた。
夕方にはクラブハウスに戻るからそれまで時間を潰していてくれ。とのことで、山道に入っていくことにした。
山、谷、湖、そして森。絶景の景色が広がる。なぜか林道へ。
本当にすごい景色は人のことないところにあるという固定観念がある。

行き止まりにカフェがあったので寄ることに。
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地元の酒飲みやリタイヤ組がいて、まわりの席はがら空きしているのに私のテーブルにみんな集まってきた。
スイス人は人懐っこい。
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あたりは標高2000mの断崖に囲まれた絶景。
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ゆったりした風のなかに意味不明な言葉が飛び交う。ドイツ語だろうか。
スイスは母国語がないかわりに三、四ヶ国語を駆使して会話している。
スイス北中部はドイツ語、南部はイタリア語、西部フランス語と、同国民とで会話が成り立たないときもあるという。かなりのバリエーションだ。

私は最近の日本道路事情により飲酒運転は控えながらワケのわからない言葉を聞いて異国の雰囲気を味わい、まわりのスイス人は車できているのにかなりの酒量をガブのみ。世界各国で知り合ったひとたちのなかで酒量が多いのはドイツ人とスイス人であることも付け加えておく。
それからまた走り始めSchweizの文字。シュバイツと読むこの谷がスイスの由来だと知る。
シュバイツ=シュワイツ=シュワイシュ=スイス

山岳地と湖に囲まれた大平原。これこそがスイスの縮図なのです。たぶんね。
モロッコ人経営のシシカバブを食べた。ケバブやシシカバブは肉を挟んだサンドイッチみたいなものだが、パサついた肉料理はニガテなので美味しく食べられなかった残念な人間です。固くて消化が悪いとケツが痛くなる。
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そのへんに流れていた川に半身入浴した。
石鹸をつかって頭髪と下半身、それに靴下を洗った。
洗った靴下はハンドルに縛られたタオルと交換しておけばよい。二日後の交換時期には乾いている。もし縛りめの土踏まずの乾きが甘くても履いていればすぐに乾く。
洗う機会がなければ二日どころか一週間靴下を交代しなかったこともある。
交代要員は靴下3、パンツ1、Tシャツ2。
本当は靴下だけは毎日かえたかった。
しかし荷物を減らすのがここしかなかったので洗濯頻度向上させるしかなかった。
予備パーツを20㌔持って走ったなかで結局使った予備パーツは一個だけ。パンク時に使用したチューブのみ。その他プラグさえ一度も交換しない。ハーレーはオイルさえこまめに交換していれば案外強かった。

Ramblers M/C swiss siebnen。
Gute morgan支部
電話の男、ランブラーズモーターサイクルクラブの住む町内を気ままに走っているとSrortSterが目の前を通り過ぎた。
二台のアイアンを追いかけてランブラーズのアジトをお尋ねるすると、この裏だと目の前の建物を指差した。彼らはメンバーではないようだった。
随分古いビルの裏手にランブラーズアジトはあった。
見た目こわいひとが出入り口で座っていた。
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最高最適のキャンプ地だった。


オランダ

21.Holland

7月中旬のオランダは雨がおおい。
本当に、毎日。
雨の休養オーランダとなった。
キャンプする場所もキャンプ場がないので湿地帯から獣道を通って空き地にたどり着き、そこから道なき草原を奥へ奥へ。たどり着いた場所はヒトが絶対来ない草原の真ん中だった。繝代Μ・槭い繝						<div class=

スカンとジナビア

20.Fijord→Denmark
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スンカンジナビア半島突端からフェリーに乗った。
深夜3時、デンマーク入国。
いつも深夜は調子いい。

外灯のない暗闇の牧草地帯をカットンでいるとうしろから3台のスーパーバイク、同じフェリーに乗っていたデンマーク人が手をあげて追い越していく、その速度差は40キロぐらいだろうか。前傾姿勢が甘い彼らからしたらそれほど飛ばしている手首の位置じゃない。
彼らと出会ったのはフェリー内、免税とは名ばかりの売店でチョコレートを指差し「クソ、市販より2倍高いじゃねえか」ザケンナ!ア!」と悪態をつきながら3つお買い上げしてたほど一見極悪人。
ヨーロッパのほとんどのライダーは片足をあげてライダー同士挨拶するのが当然なのに彼らは手をあげてくれた。
なんというか、別にどうも思わないけど「ああ、いいな」というきぶん。
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オランダにむけて走り始めた深夜
途中、フェリー内で眠れなかったシワ寄せをパーキングで、日頃のうっぷんを晴らすように雨が降ってきたのでブルーシートをかぶって芝生で寝た。
雨の音がボツボツ、モウモーうるさい牛が、寝ている頭の近くでなんだかびちゃびちゃやって通りすぎていった。
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Cheap parts the Que Puta

19.Mora para a Gateburg Sweden蛹玲ャァ+(302)_convert_20091109165934


モラ市のランブラーズモーターサイクルクラブのペルとアンドレヤスに礼をいい、一路ゲートバーグという街へ。だいたい300キロぐらいだったろうか。余裕の距離だ。

ところが途中でバッテリーの具合が悪くなった。
完全にぶっ壊れている。
新品で買って3週間で寿命をむかえることとなった社外バッテリーは、世界一周直前に通販で手に入れたもの。保障期間は3ヶ月だった。
…ペルたちも社外バッテリーに頭を悩ませていた。
私のバッテリー品名は(極度に強い)という意味を持った最低のバッテリーに対し、スウェーデン人が持っていたこちらも余命3週間の中国製、品名は「信用」。
信用の意味を聞かれたので「トラスト」と答えるとみんな吹きだして大笑い。
安売りの存在はその名前だけが素晴らしい。
私のバッテリーはダメになったが、一応バイクは走ることは走るので、次のバイク屋があるまで仕方なく給油した。
この旅は一日平均700キロ走っていたので本日300キロとか、二度ほど給油しないと。無意味な寄り道もした。片田舎の廃墟に忍び込んで床の埃をけりあげたり、埃まみれのスパナを床に落として大きな音をたてたり。。
とにかく道草の時間の過ごし方はヘタなほうだ。観光も今後ほとんどない。

スウェーデンを発つまで数時間あるのでゲートバーグの街を散策することにした。
目に入ってきたネオンの街角に KARAOKE の文字。店構えは中華。

気になったので店の前でウロウロしていると、ひとりの白人男性が話し掛けてきた。
ヒゲを生やした男性は、KARAOKE の店員だ。眼が優しさの溢れた人だったので、KARAOKE に入ることにした。
店内は中国人経営の中華料理屋だった。
まだどこがカラオケなのかわからなかった。
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世界には中国人がたくさんいる。
どこの国に行っても中国人の街があって、中華料理の材料を売っている。
ソースも黒っぽい醤油系だし、野菜もキャベツや白菜など見慣れたものが並んでいる。彼らの話では中国人は誰かひとりを持ち上げて利権を中華街へ持っていくという方法で世界に数ある中華街を形成しているらしい。
中華街にくらべて日本人街は、私はこの世界一周でたった一度もみなかった。南米のパラグアイやアルゼンチン、ブラジルなど、日本人街はあるとは聞いていたが、中国人街に比べたら圧倒的にその存在は少ない。
このことからも、日本人が街を形成したがらない傾向という性格がうかがえる。世界に中国人街があるのは協力があったからこそ。
さて、ゲートバーグの KARAOKE 。
ここでは久しぶりに大好きなチャーハンを食べることができた。木耳(きくらげ)のサラダも頂いた。チャーハンをおかずに白米をたくさんたべて幸せな気分
肝心なカラオケは西欧スタイル。

店内が満席になったところで、ひとつのステージ上で一人ずつ歌うというものだった。
店内にいる人たちは皆ほとんど初対面というのに歌に合わせて手拍子する一体感たるや。
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さて、スウェーデン女性は個人的にヨーロッパイチの美女ばかりだ。だけど歌はあまりうまくない。
ヘビメタみたいなの唄ってた。
私はカラオケ国代表として『昴』を熱唱した。

時間もきて、フェリーに乗り込んだ。
確か4時間の乗船時間だったとおもう。
日本のフェリーと決定的に違うのは船内に雑魚寝できる場所が一箇所もないところだった。
すべての空間に席とテーブルが設けられていて休憩できる場所が一切ないのだ。
欧州を走るライダーぐらいだろうか、床で寝ていたいのは。
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床で寝ていても誰も気にしていないところが欧州ヨーロッパの自由で先進的部分のような気がした。


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腰痛のおかげで、床でなど眠れたものじゃなかった

スウェーデン内陸最高!!

18.Sweden correr mi corazon

スウェーデン内陸は、世界最高に走りやすい。
針葉樹が多い茂る森と、一直線かと思えば適度なワインディング。
時速78キロで航行中、最高の気持ちよさの中ガス欠、これさえなければ最高だ。
バイクの欠点はガソリン容量の少なさである。
ガソリンスタンドでチョコレートを食べていると、遠くからハーレーダビッドソンの音がした。
ロシアや北極圏ではほとんどみかけなかった愛しのハーレーちゃん。
こ、これは。GSに入ってくるバイクは、日本でもほとんどお目にかかれないスウェディッシュチョッパーだった。
縺薙・縺ゅ→蠖シ繧峨↓・ュ・ッ・イ・。蟶ゅ・繝舌う繧ォ繝シ繧堤エケ莉九@縺ヲ繧ゅi縺・コ梧ウ翫b荳冶ゥア縺ォ縺ェ縺」縺歙convert_20091103165722
彼らとの出会いがこのあとのヨーロッパを大きく左右した。
夫婦でサスのない長いバイクに乗る某モーターサイクルクラブの古参。
一見してオーラを感じた。
彼女は’49FLパン、エプロン姿が似合いそうなチョッパーで、旦那のS&Sモーターも相当クレィジィ仕様だった。
私はいつの間にか今後の予定を決められてしまった。彼らが紹介してくれたスウェーデン人の家にいくことになったのである。
正直、キャンプをしたかったので初対面だと焚火できないのか、と思ったがヒトとの出会いの流れに任せてみようと湖の町モラにむかった。夜8時、太陽はまだある。

50キロ走っても公衆電話がなかったのでハンバーガーショップの駐車場でポテトをほおばる男に携帯電話を借りてチョッパー夫婦から手渡された神の番号にかける。
優しさ満点の男が電話にでて「すぐむかえにいくからそこで待て」と余計なことは言わず電話は切れた。
それから5分もしないうちに長髪の男がむかえにきてくれた。
直菅マフラーに長いフロントエンド、ウィンカーもミラーもテールランプすらない乗り物。
ペルと名乗る男のバイクはシンプルすぎて自転車だ。
そのペルのバイク仲間だけで運営しているクラブハウスに案内してもらう際、そこまでの道のりでは、ペルのバイクにはミラーがついてないのでペルは100メートルおきに振り返った。些細なことがとても嬉しかった。繧ケ繧ァ繝・・繝ウ+(6)_convert_20091104213502
クラブハウスでは部屋を世話になってしまったのです、風呂なしで三泊。
ああ、早く川に入りたい。
ベッドではなかったがソファーの寝心地は最高だった。
いつまででもいろといってくれた。

「このクラブハウスは日本人は二人目だ」
と、ランブラーズM/Cスウェーデン支部隊長ペルが言った。
その日本人の名前を聞くと、世界一周出発前に情報を教えてもらっていた大阪の女性だった。
彼女はどうやってペルに出会ったのか、それがいまも不思議だ。
たまたまGSで知り合ったバイカーに紹介してもらったのかな。

色々な出会いがあるなか、偶然というより必然に感じることが多かった。
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ランブラーズモーターサイクルクラブ  スェーデン・モラ
Ramblers M/C
HP http://ramblers.hallah.nu/

Norway→Sweden

17.problema en el banco
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ノルウェーで出会った人々

16.Norge personas
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フィヨルド海岸は、その絶景がすばらしかった。
晴れ間は滅多にみられないと地元のひともいっていたぐらい、私は運よくフィヨルドでは毎日晴れた。
波のない海に景色が鏡のように反射する。まるで北海道・摩周湖のような鏡状の海の水を取り指を舐めたら「ショッペー、でもウメえ、塩味」。
地形が複雑でむかしは海賊が住んでいたようです
海賊の末裔が住んでいた石造りの家が、現在博物館として存在していた。
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ノルウェーも含めて北極圏に住んでいるひとたちは、なかなか話し掛けてこない国民というイメージがある。アルタという北極圏にある大きな街でホットドッグを買ったときかなり大量のピクルスを入れてもらうピクルスサンド、私の一連の行動をみていたノルウェー人は無表情でただ私を見つめている。そとでピクルスをこぼしながら食べた。
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プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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