スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マラケシュ

35.Marakech Moroc
マラケシュ
繝「繝ュ繝・さ+(153)_convert_20091226233106
この地名はむかしから脳裏に焼きついていた。
なにかキノコみたいな地名だし、なにより松田聖子の歌でマラケシュを唄っているのがある。
こんなミーハーな理由から、有名な古い市街地マラケシュに行ったのである。
もともと世界遺産に興味はないが、マラケシュだけは絶対に行きたかった。

マラケシュに到着したのは昼すぎ。
モスクで礼拝をするイスラム教徒たちを横目に、電柱脇にバイクを停めた。
電柱のある場所は側道の一段上だ。この段差、日本の場合は30センチそこそこの段差で歩道にあがれるのに対し、モロッコの段差は50センチある。車体底をガリガリしつつバイクを上にあげ、電柱に盗難防止のワイヤーをくくり付けた。
繝「繝ュ繝・さ+(147)_convert_20091226233810


その場で水を頭からぶっかけていると、電柱から20mの位置にあったバイク屋の店主が話し掛けてきた。
「よう、どこからきた?」
「日本だよ」
「そうかそうか、そのバイクと俺のバイク交換しないか?」
店主のおじさんが指差したのは50ccのスクーターだった。
こいつ本気で言ってるのか?

じつは本気でハーレーとスクーターを交換したいのだという意思が伝わった。帰り際も同じことをいわれたからだ。
私はふざけるなという態度を取ったが、だからといってバイク屋の店主が不親切な態度を取るということはない。
店主のおじさんは「店内で休んでいけ」と、二畳ほどの二人座れば目一杯の狭い店内に椅子を出し、水を飲ませてくれた。
その水だが、水道水だったため、自分で買いに行くことにした。

バイク屋には店主の息子が二人いた。
繝「繝ュ繝・さ+(111)_convert_20091226233346
高校生ぐらいの長男は日本製のツーサイクルのスーパーカブを修理、小学生ぐらいの次男は私の買い物につきあってくれた。
私は次男にコーラをご馳走しようとしたが、断られた。
ケーキはどうかと聞いても、それも断られた。あって損はない水さえも断わられた。
モロッコ人はもらえるものをほぼ確実に断る傾向にある。
それは宗教上の理由なのか、もらえるものはミカンの皮でももらえという日本人の教えとは違う。
ほかにも常識の違いにびっくりすることが多々あった。

モロッコ国内ではモロッコ人は酒を飲んだら逮捕されるかわりに、警官も仕事中にイケナイタバコを吸っている。
処女が結婚する意思のない男性とセックスをするとその女性は死刑にされるなど、イスラムの規律はかなり厳しい国なのだ。
一応2004年にはイスラムの教えもかなり緩和されたといえ、モロッコで酒を売っている場面は一度もみなかったし、大きな街で時おりみかけた若い女性が顔を出して歩いていれば、みんながみんな女性のケツに視線が釘付けだった。
繝「繝ュ繝・さ+(109)_convert_20091226233444
貴重なモロッコ人家族の写真。モロッコ人は写真を撮らせてくれない。



それにしてもモロッコ人は本当に親切だった。
私はなにか恩返しがしたいとバイク屋の店主に言っても「そんなものはいいからバイク交換してくれ」としつこく中国製スクーターを勧めてきたのであった。
繝「繝ュ繝・さ+(112)_convert_20091226233946
次男の写真、一番奥にみえるだろうか。鉄の箱に日本語が書かれているのが。
お礼というか、バイク屋の店内に置かれた鉄の箱に白いペンでメッセージを書かせてもらった。
こんなマイナーな通りに日本人がくるとは思えないが「マラケシュは最高、俺も最高」と書いた。
ついでに私の名前をもう一度おおきく書いたら、バイク屋の店主は「これは俺がカッコイイって書いてあるんだろ?」と聞いてきたので、そうだよと適当に答えておいた。

熱射病状態。フラフラしながら旧市街へ歩いて行くと、まるで迷路のようだった。
繝「繝ュ繝・さ+(57)_convert_20091226234132

影に入ると涼しいが、水分だけは充分に摂っていたものだからシッコに行きたくなった。
迷いに迷い、迷路の一番奥にたどり着くと、そこには6畳ほどの広場があり猫が寝ていた。
私は迷うことなくズボンを下ろし用を足そうと思ったその時、すぐ近くにイスラム教徒の白い服を着たヒゲモジャの若い男が通りかかった。
その男性はむかし付き合っていた彼女のお兄さんにそっくりで、私は好感をもちつつ「トイレ貸してくれ」というと、ちょっと待ってろ。
そういって、重い扉の奥に消えた。
5分してから男性が出てきたかと思うと、口にひとさしゆびをあてて静かにしろという態度を取りながら建物の中に案内してくれた。
中は、なにか宗教的な雰囲気で、町の雑踏どころか音すら聞こえない。
私がトイレを済ませていると、どこからともなくコーランの音が聞こえてきた。
繝「繝ュ繝・さ+(122)_convert_20091226233637

旧市街での想い出はこれぐらいだろうか。


市街地を歩くと、マラケシュは観光地なので客寄せが大勢話し掛けてきた。
「酒あるよ、女あるよ、ケムリあるよ イッヒヒヒヒ」
どこへ行っても観光地は観光地。
市街地や観光地にその国の本当の姿はない。

それにしても一旦迷い始めるとマラケシュの街は大きいので抜けられない。
いくら歩けどバイクを置いた場所に戻れなかった。



三時間ぐらいさまよっただろうか。
私はあることに気がついた。
それはカメラでとったバイク屋の画像を誰かにみせれば場所がわかるんじゃないかと思ったのだ。
そこで、そのへんに歩いているモスリムに画像をみせると「あーしってるぞ!」そういってバイク屋まで案内してくれた。
のだが、どうやらそのひと勘違いしていたようで、行けども行けども市街地から抜けられなかった。
繝「繝ュ繝・さ+(159)_convert_20091226235613





スポンサーサイト

サハラ砂漠の雨


34.Decierto de SAHARA
繧オ繝上Λ荳

サハラでは雨が降った。
我ながら普通の人生は歩んでいない。
旅もしかり。
地元民に聞くと7ヶ月ぶりだという。

しかも2日連続で雨が降った。
遠くにみえた激しい雷雲が山の中腹を舐めるように襲い掛かってきた。
次第にカミナリと共に雨は増した。

走り抜ける町では、子供たちが雨の中ハシャイでいる。
私は町まで引き返し子供たちと土砂降りの中、あそんだ。
少量たまった水溜りの茶色の水を頭からかけてみたり、地面からあがる湯気を笑ったり、何気ない遊びが幸せだと感じた。

廃墟で雨宿りをしながらやめていたタバコに火をつけた。
濡れた衣類が心地よい。
いままでの灼熱が嘘のように涼しい風が廃墟を吹きぬけた。
このとき以来、私は雨が大好きになった。
繧オ繝上Λ荳




メルゾガという町に行く途中、ガソリンスタンドがなかなか無くて困ったことを思い出す。
メルゾガに到着すると、ここは観光地なのだとすぐにわかった。なんにでも高い値段がついている。
ポリタンクに入ったガソリン、1リッター150円。駐車場300円、高級品である。
観光ガイドは、ラクダはどうだ、サバクを旅しよう、などと私に声をかけてきた。
私はそれどころじゃなかった。午前中は45度、昼過ぎには51度まであがった気温に参っていた。そもそもサバクまでバイクで苦労して旅して更にサバクなど旅したくない。

駐車場で待っていたのは駐車場の集金屋だった。
300円程度と高くはないが「払う金などない」と悪態をつくと、なんだか仲良さげに会話してくるので普通にお話をした。
ところが他の観光ガイドや金の亡者が近づいてくると集金屋のおじさんも態度を一変して早く帰れといわれた。サハラにも世間体があるようだ。
モロッコは親切な人が多かったが観光地はどこも一緒だ。
観光地を離れてひとりだけのサハラ砂漠を楽しもうとサハラの町メルゾガを離れた。
繧オ繝上Λ荳


あいかわらずバイクは調子いいが白煙はとまらなかった。
いま考えるとモロッコのガソリンには水が混ざっていたのかもしれない。
それに暑さも加わりバイクは多大なダメージを受けた。
繧オ繝上Λ荳



ひと気のないサハラ砂漠でキャンプをした。
カメラがジャリジャリでシャッターが切れない。
砂漠の地平線にそって真横にズバーッと流れる流れ星をみた。
繧オ繝上Λ荳

サハラへの道

33.Moroc rutas
繝「繝ュ繝・さ+(218)_convert_20091214233310

モロッコの主要道路は、暑さにやられたのだろうアスファルトがフラットすぎて滑った。
まるで雨の道にオイルを散らしたような滑り具合で、ブラックアイスバーンを走っているようだ。
黒光りする主要国道を後にして、地図に習って裏道を走ることにした。
そう、国境でもらった地図をみてモロッコを旅したのである。
ところがこの地図は欠陥だらけだった。

裏道といっても地図上は赤い線。つまり国道だというのに、砂利道だったり、サハラ砂漠を軽く横切る赤い線の道では完全に深い砂の道に変わったのである。
さて、地図さえ信用できないことを知った。
しばらくすると砂嵐がひどくなってきた。
繝「繝ュ繝・さ+(287)_convert_20091214232910
繝「繝ュ繝・さ+(286)_convert_20091214233022
こうみえて風速30mぐらいの砂の嵐
実質視界50mでゴーグルをしていても眼に砂が入りその都度とまって目薬をさしたのだが、目薬をさすのにゴーグルをとるとひどいことになった。
一旦町に戻り近くのレストランで道を聞きがてら避難。
生暖かいサラダに腐るギリギリの生ぬるいトマト。
外は砂嵐と竜巻がひどく、テラスのテーブルと椅子が、道をすべって飛んでいく。そのスピードはマイナーリーグのコントロールの悪いピッチャー並に荒々しかった。

嵐がおわると本当に何事もなかったかのような静けさと太陽に戻った。

繝「繝ュ繝・さ+(273)_convert_20091211194643

店主と写真を撮り早速走りだした。
世界でも有数のアトラス山脈を超えることにした。
ロシアのウラル山脈並みの難路だ。
繝「繝ュ繝・さ+(193)_convert_20091214233153繝「繝ュ繝・さ+(206)_convert_20091214233419

標高1500mぐらいなのに気温40℃オーバー。
アトラスを超え平地にでると更に暑さが増した。
気温は手元の温度計で43℃。

水を一日10リッター飲んでも喉が渇き、タンクバッグのビニールはフニャフニャ。
バイクはオーバーヒート気味でノッキングするため、ペットボトルに入った水をエンジンにぶっ掛けた。
白煙も吹き始め、オイルはすぐに底をついた。

ちいさな町に出てオイルを買い、オイルタンクにオイルを注ごうとすると、タンクの入り口付近は砂でジャリジャリしていた。
その日は砂嵐がひどく、久しぶりにホテルに泊まることにした。
繝「繝ュ繝・さ+(282)_convert_20091214233526

端からはしまで100mの小さな町にはホテルが一軒あった。
そのホテルは町唯一の二階建てで一階は食堂になっていた。
みんながメシを喰っている最中に食堂内にバイクを停め、部屋に案内された。
タラタラと水量の足りないシャワーは最初あつ~いお湯がでたが、しばらくして水にかわった。
久しぶりのホテルだったのでカメラの充電をした。

深夜になると外で声がした。
部屋をでて外を眺めてみると、深夜2時だというのに町には人が溢れていた。
200mぐらいしかないストリートには男性がごった返して、なにをするわけでなくその場に座り込み黙ったままタバコを吸っていた。
外の空気はひんやりしていた。

モロッコの人々は、午前中の早い時間よくみかけるが午後になるとどこにもいなくなる。
昼間は暑すぎて表にでてこないのだろう、内陸のどこの町でも夕方までほとんど人をみかけることはなかった。
昼の礼拝を除いては…。
繝「繝ュ繝・さ+(296)_convert_20091214233631










繧オ繝上Λ荳

イスラーム モロッコ

32.Moroc personas
モロッコという国は、国民の99%がイスラム教徒の国である。
繝「繝ュ繝・さ+(48)_convert_20091211194233

私は旅の出発前、あえて情報収集をなるべくおこなわなかった。
それは日本という国の保守的な部分にある。
外務省の情報によれば、そのほとんどの国が危険危険危険と注意を促していて、調べれば調べるほど旅などやめたくなるからだ。

ただ私は情報を調べないまでも命だけは落としたくないので、イスラム圏と南米だけはこまめに調べていた。
しかし南米のほとんどの国が超危険地帯の赤や黄色で示されていたので調べるのをやめてしまったのだ。
もちろんイスラム圏の国の情報も外務省から調べるのはやめた。
その他で面白い情報はないのかと、ネットでイスラム圏のことを調べていると、変な情報が目に飛び込んで驚いたことを今でも憶えている。
それは「男性はヒゲを生やしていないと誘拐される」という噂だった。
ヒゲを生やしていないとイスラム教徒に思われず大変危険だというのだ。
昨今のニュースをみていると、そんな噂も信じざるを得ないかと思い、私はヒゲをたくわえて旅に出たのである。

ところが実際のイスラム圏のモロッコはどうかといえば、そんな噂どこから出たのか不思議なぐらいみんな親切だった。


最初に話し掛けてきたのは羊飼いの少年だった。
繝「繝ュ繝・さ+(14)_convert_20091211194135

彼は私が牧草地で野宿することを危険だからと反対したが、私がどうしてもここで寝たいことを伝えるとナイフをくれた。
親父には内緒にしてあげるからと言って夕方別れた。
翌朝彼はその親父とヒツジを追いかけながら手をふってくれた。
おかげで良い眠りにつけた。



しばらく風呂に入っていなかったので川で水浴びをしようと飛び込んだのが大西洋。
近くの川で改めて風呂に入ろうとすると少年二人組が話し掛けてきた。
繝「繝ュ繝・さ・・(20)_convert_20091211194338


私が真水が必要だということがわかると井戸まで案内してくれた。
三人して井戸で身体を洗った後、少年二人組は馬小屋に案内してくれ、高価なタバコを薄暗い中で一緒に吸った。

タバコといえばモロッコ人は「おまえタバコ持ってるか?」とほぼ確実に聞いてきた。
最初私はタバコが欲しいのかな、と思ったが違った。私がタバコを持っていないことを知ると「じゃあこれ、吸えよ」とタバコをくれた。
私は旅立つ前ヨーロッパの物価の高さを知っていたのでモロッコ当時も禁煙していたが、生活の厳しいモロッコ人がわざわざタバコをくれるという、これは断るわけにはいかずタバコを吸ったのである。

気がついたら馬糞だらけの馬小屋にぶっ倒れていた。
なにか入っていたらしい。
繝「繝ュ繝・さ・・(25)_convert_20091211194416



またあるところでは水浴びしていた川底のヘドロに手こずって這い上がれないでいると、私の手をひっぱり助け出してくれた人。
この川には血を吸う巨大ヒルがいるからダメだと教えてくれたその人は、手に入れたばかりの携帯電話をずっと自慢してくれた。
モロッコ人は言葉を理解していないと分かっていながら話しかけてきたり、丁寧に道を教えてくれた。
大衆食堂でメシを喰っていても、目が合うたび挨拶してくるそんなモロッコ人に、私は嬉しくて笑みが止まらなかった。
最高の国だ!

ヒゲがないと誘拐される噂は完全に嘘だった。
噂ほどアテにならないものはない。
もし本当の事を知りたかったら自分の足で行って、目で見て確かめるしかない。
ましてその時どきで状況も違うとなれば情報はネガティブの材料になりえる。
だから私は情報を信じるのをやめた。
繝「繝ュ繝・さ+(160)_convert_20091211202529

ただ、道の状況だけはどうしても分からないので地図だけは頼りにしたのだが・・。

アフリカモロッコ

31.Africana Moroc
繝「繝ュ繝・さ+(157)_convert_20091209181942

モロッコに降り立つと、想像よりも涼しかった。
スペイン・アルゲシラスでは気温35度、トンジンでは気温28度ぐらいだろうか。
入国ゲートには門があり、船内の約1割の白人など、外国人が入国審査を待っている。
モロッコ人が優先のようだ。

モロッコ人たちの入国審査があまりに長引くので通関士の手伝いをしているおじさんに「早く入国させろ」の旨つたえると、「じゃ金だ」といわれた。

背広を着た入国管理責任者のような、みためだけみると好感の持てる人に相談すると、「なに?外国人の入国まだしていないのか」ということで、そのひとの指示でようやく外国人の入国も開始された。
金を請求したおじさんの作戦だったのだろうか、なおも影で外国人たちに金を請求している。

私も1000円ぐらい請求された。
おじさんに前歯は無く、肌はまるで月面クレーターだ。
汚いことをやるひとは、決まって汚いみためをしている。いや、汚いみためにみえてしまうのだろう。
人をみためだけで判断するのはよくないと常々道徳の授業で言っている私だが、感覚でこのひとワルだと思える人がこの旅ではよくあった。それは情報などなにもない外の世界にいたので感覚がやたら研ぎ澄まされていたからだと思う。根拠の無い見た目だけワルだからワルとは種類が違い、この感覚には絶対的な自信があった。
ああ、きっとモロッコも悪いヤツばかりの国なのだろうなと、殺されないようにと気合を入れ直したのだった。
繝「繝ュ繝・さ+(18)_convert_20091209180519

モロッコのお金はユーロでは通じない。
モロッコ通貨に交換するため、両替所に。
そこではスペインのハイウェーで見かけた人たちが大勢いた。
話し掛けてきたが、言葉が理解できない
にも関わらず、丁寧に両替のことを教えてくれた。
なんとなくモロッコの悪いイメージが払拭された。
繝「繝ュ繝・さ+(44)_convert_20091209180420

バイクでモロッコを走りはじめると、そこらじゅう道端で警官達が警備にあたっている。
その警官達なのだが、なぜか私に手をふり笑顔でいるのだ。  ???
それ以外にも、私と目が合ったひとたちは必ず軽くうなずく。
私と目が合った瞬間、こぶしを左胸にあてて二回たたく人。
言葉が通じないのをわかっていながらフレンドリーに握手してくる。
あれ?なんだこの国は??繝「繝ュ繝・さ+(93)_convert_20091209180646繝「繝ュ繝・さ+(94)_convert_20091209180803



さっそくメシをいただくと、そこらじゅうから笑顔のモスリムが集まってきた。




海峡をわたってみる

30.Moroc
スペイン・ジブラルタル海峡のまち、アルゲシラスへ。
そこからフェリーがでているという情報を、無意識に入手した。
フェリーに乗るとアフリカに行けるらしい。

この頃になると「カン」が、やたら冴え渡った。
悪いヤツは表情を見ればわかるし、道に迷った交差点の先がどういう状況か、なんとなくわかるのだ。
それどころか、日本に連絡を取るわけでもないのに、日本にいる友達の状況が手に取るようにわかった。
カンの出どころは夢や無意識。これは勘といっていいのか人間本来もち合わせた力なのか、あまり知りたくない情報も私のもとに手に取るように届くのが嫌だったことを思い出す。

アフリカの玄関モロッコ王国。
イスラム教の国ということで最初はビビっていた。
私の固定観念は無意識の「カン」により、モロッコは安全な国と判断して入国を決意した。

さっそくフェリーのチケットを買うと、行き先は「Tanger~タンジェー」という文字。
この地名を係員に「タンジェ、タンジェ」といっても誰も通じない。
トンジンという発音らしい。
繝「繝ュ繝・さ+(9)_convert_20091203135409
スペインの国境では簡単な検査が警察によって行われた。
このときカメラ厳禁と書いてあったのに警官達は私とバイクをバチバチ写真に撮っている。
私もカメラを構えたら、ダメダメという傍らで笑顔で肩など組まれながらカメラバチバチ警官たちにポーズをとる私。
なんて都合のいいやつなんだ私って。

フェリーに乗ると、さっそくモロッコのツーリストカードが届いた。
英語で書かれた入国書類に適当に文字を書いたまではよかったが、バイクの通関書類には手間取った。
アラビア語とフランス語の表記だったので、まったく意味がわからない。
繝「繝ュ繝・さ+(11)_convert_20091203135504

アラビア文字を理解できないで困っていると、近くに座っていた黒人のような青年が話しかけてくれた。
肌は黒人の坊主頭の彼は、英語どころかアラビア語しか話せない様子。
黒人っぽいのに頭髪はストレート坊主頭なのが不思議で、初めてみる人種だった。
その黒人のような彼はマラケシュというモロッコの内陸部の町からスペインに買い物に来た帰りだと言う。
私はその黒人のような彼に、バイクの通関書類の記入を手伝ってもらい、それから更に船内でおこなわれていた通関手続きも着いてきてもらった。

アラビア語でなにやらてつづきをしてくれたが、私には一切理解できない言葉だった。
理解できない言葉だけを話す、その黒人のような彼も税関のひとも、普通の私だったらビビるところだが、目や仕草、それから笑顔の種類は最高の人間だと判断できた。
言葉が通じない分、感覚で話すことでそのひとの良し悪しがすぐさま判断できた。言葉が通じないとバカにした笑いはすぐにわかるし、どうにか助けてあげようという気持ちもわかる。言葉は時として邪魔なこともあるようだ。
カンは更に言葉の通じない見えない部分を後日助けてくれた。

黒人のような彼に通関作業を手伝ってもらったので、お礼にコーラを買うと、断られた。
その彼のご家族にもコーラを手渡そうとしたが、それも断ってきた。
本当にいらないのか不思議だった。お礼をあげるほどのことでもなく彼らからしたらやって当たり前のことだったのかもしれない。レストランに案内してくれた人がここまで連れて来たんだから酒おごれという一部のシベリア人とは正反対だ。
私はコーラを水に換えてふたたび彼らに手渡そうとしたが、それも断られた。
ひとの好意を断るのは日本では厳禁だが、この彼らの断る仕草にはとても好感がもてた。困ったときはおたがいさまという、そんな雰囲気が彼らには漂っていた。

極地では助け合わないと生きていけない。
マラケシュつまりはサハラ地方では当たり前のことなのかもしれない。
マラケシュに一気に興味がわいた。

ジブラルタる海峡

29.Real La Costa Gibraltar

砂漠からようやく沿岸にでた。ジブラルタ海峡だ。繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(380)_convert_20091203135632

海を見たのは一ヶ月半ぶりになる。
毎日700キロ以上も走って海を見ない日が一ヶ月以上つづくのは海外ならではかもしれない。
シベリアを抜けてノルウェーの北極海をみたとき同様、このときもジブラルタル海峡に「あーうみだー」ぐらいの感想しかでなかった。
私の家は駿河湾から数100メートルのところにあって、海を毎日のようにみたり潮の香りを感じている。
だからといって海がないと落ち着かないということはない。むしろ山の景色が好きだ。釣りは海に限るが、ないものねだりだろう山の景色に快楽をえる。

夕飯はビーチ沿いのカフェで豚肉を食べた。
野菜のまったくないケバブのような豚肉サンドは、観光客相手のものらしい。
アルメリアからマラガまでの沿岸地方は観光地化され立派なホテルが立ち並ぶ。車の運転も下手なひとが目立ち軽く渋滞。海岸の観光地はスペインに限らずフランス南部地方も渋滞を避けるため回避するのをお勧めする。観光地に国のリアルはない。
深夜11時、マラガ沿岸から内陸に50キロ入ったところの湖沿いにキャンプを張った。
沿岸はテントを張れるような余裕はない。
繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(367)_convert_20091203135721

朝パッと出発できるようにバイクの向きを神経質に変え、歯を磨き、地図をみるため懐中電灯を点けた。この日の走りは900キロ。これだけ走ったというのに明日のルートを確認しているときが酒以外の夜の唯一の楽しみだった。
900キロも走ると心地よい眠りに襲われた。
私はそれだけで満足だった。

パーキングでモロッコ人と知り合った。
このモロッコ人も日本人にあうのは初めてらしい。
繝「繝ュ繝・さ+(3)_convert_20091203135313

英語もできてとても好感の持てる夫婦は、新婚旅行でヨーロッパをツーリングしているということだった。
繝「繝ュ繝・さ+(5)_convert_20091203140943

仕事があるのでカサブランカに戻らなければならないということだった。
奥さんのほうはモロッコでは有名な女優さんらしく、テレビディレクターの旦那さんは奥さんにベタぼれだった。
この夫婦たちからコーヒーをご馳走してもらい、果実ジュースを3本も頂いてしまった。
おかえしに日本人のステッカー「大和魂」をさしあげた。
Japones corazon
繝「繝ュ繝・さ+(1)_convert_20091203142320
アラビア語でメッセージを書いてくれたオマール
カサブランカに来たらテレビ出演させるからそのつもりでいろといわれた
「奥さんとラブシーンか?」と聞いたらオマールは苦笑いして「フェリー乗り場まで一緒に行こう」といった。

Espan~a mucho carror

28.Valencia ~ Alicante y Malaga
Tienes carror mucho繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(353)_convert_20091201223533


パーキングで食事を取り、バイクの元へ戻ると、なんとバイクがなくなっていた。
あるはずのバイクがなかったからといって、別に焦ったわけではない。
ついに家に帰れるという気持ちで、正直ウキウキした。
パスポートも腹にくくりつけている。
繧ケ繝壹う繝ウ+(2)_convert_20091201222540


それから私はバスがどこから発着するのか気になった。すでに帰国の準備を心中で進めていた。

ところが私は気付いてしまったのです。
じつはバイクを置いたのは高速パーキングの逆車線側だということに。
気付かないフリをしてバスかなにかで飛行場に行けば旅はおわっていた。
あまりの暑さに平衡感覚や方向感覚どころか、旅を続ける勇気も薄れていたのかもしれない。


バレンシアはオレンジの産地として日本でもその名前は聞いたことがあるひともいるだろう。
世界で一番有名なオレンジの里である。いけどもい行けどもオレンジ畑がつづいた。
私は静岡出身なのでミカンの木やミカン畑はみなれたものだ。
ところがバレンシアはレベルが違った。静岡の数億倍のミカン畑。
バレンシアの地平線までつづくミカン畑はその後1000キロ以上つづいた。
過去にアメリカ合衆国を走ったときも数日間延々と続くトウモロコシ畑には度肝を抜いたが、見慣れたミカン畑が見渡す限りの状態で1000キロ以上走っていると、なんとも不思議な里帰りである。
繝ィ繝シ繝ュ繝・ヱ+(356)_convert_20091201223256

海が見えぬまま、ほんの少しだけ内陸に入る道へ流れていった。
バレンシアからすこし内陸に入ってもミカン畑は続いていた。ハエが急激に増えた。気温も40℃を超えていた。
この頃になると時間もそうだが、体調がいいときは温度計をみなくても正確な気温が身体でわかるようになる。人間本来の力がみなぎっていた。

乾燥していて気温~45℃ぐらいになると生臭い血のニオイが鼻をついた。
じつはそれは、後から気付いたのだが自分の鼻のなかが乾燥で切れて出血していたのだった。日本に帰国して一年がたとうとしているたった今きがついた。
繝昴Ν繝医ぎ繝ォ_convert_20091201222633

とにかく暑い。尻に汗をかきはじめたスペインの昼下がりだった。


プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。