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スペイン シンクエンタのたび



40.Ruta Numero Cincuenta Desde Portugal a Espana Madrid 
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スペイン内陸部に入ると、廃墟が目立った。
あとで聞いた話によると、市街地から少し離れた廃墟にジプシーたちが住み着いているという。
彼らは、子供に盗みをやらせるのだという。つまり親のいうことをきかせて犯罪行為に及ぶため、地元の人々からは敬遠されているということだった。
私は、そんな彼らに興味をもった。

結果からいうと、あえなかった。
更には友人を介して知り合ったひともジプシーをみつけたら俺はなにをするかわからないと言っていたのを憶えている。
そんな少し攻撃的なことをいう彼こそ、マドリッドの友達パコである。

南米に行くことは当初から決まっていた。
「命がけ」、と言ったら笑われるかもしれないが、最低限の言葉さえ知っていれば南米でもトラブル回避に役立つのは確かだ。
そのことをスイスの友達に話すと、スペイン語を勉強するのにちょうどいいやつがいるからと紹介してくれたのがパコだった。
ポルトガルから一気に駆け抜けマドリッドにつくと住所を元にパコの家を探した。
いまでも記憶にある、スペインで最初に覚えた単語は「シンクエンタ」だった。
パコの家があるのは、マドリッド郊外のハイウェー50号に程近い住宅街という大雑把なものだった。
この迷いがスペイン語の勉強になったのは言うまでもない。道を尋ねてもスペイン人のほとんどはスペイン語しか話せないひとが多いことから、必然的にスペイン語をマスターすることになる。南米大陸ではほぼすべてのひとがスペイン語だけを話し、私はスペイン語マスターのために南米から地図を持つのをやめたのだった。地図を持たなくなると感覚がやたらと鋭くなり、太陽のむきで時間と方向が正確にわかるようになったり、ひとをみただけでそのひとがなにを考えているのかが、なんとなくだが、手に取るようにわかったのだった。

パコと出会ったのはそれから30分後のことだ。
散々迷った挙句、そのへんを歩いている男性に携帯電話を借りて迎えに来てもらう事になった。
登場するや、パコは笑顔すらみせず、そして全身にはタトゥーが入っていて、これは只者ではないと感じた。
話してみると温和な優しい人柄だったが、彼の職業は地元では有名な刺青師だった。
いつもスペイン国内のタトゥーコンベンションで一位を取っているということだった。
結果として、マドリッドの友人パコは英語堪能だったためスペイン語の勉強もそこそこになってしまったが、彼と出会えてよかったと思っている。彼には多くの友人がいて、毎晩のように大勢の人を紹介してくれた。なかにはとても気の合う友人もできた。私はヨーロッパに多くの友人ができたことを確信した。
オリーブを初めて食べて感動した。
アンダルシア地方はオリーブの産地だ。

パコと出会ったのはちょうど彼の誕生日で、その日の前後に休暇を取って家でゆっくりしているときに連絡を入れてしまい、そのために機嫌が悪くて毎日大音量でデスメタルを聴いているのかと思いきや、彼の趣味だったようだ。
朝から晩までデスメタルを大音量で聞く彼を尻目に、私は癒しを求めてトイレに入った。デスメタルを聴きながら、日本を経って初めてともいえるゆったりしたスペースのトイレでスペイン語の本を読みながら時間を潰していると、便器が真っ赤に染まっていた。
時々私の持病が再発する。まさにデスメタルである。

彼の家には犬がいた。ドコだ。
パコの奥さんマルガリータが犬を呼ぶとき「どこ、どこ?」というので可愛かった。
パコもマルガも大変よくしてくれて、これ以上ないスペインの想い出ができた。

それにしてもマドリッドは砂漠地帯の内陸部なので、昼の気温は40度を超え、夜になると15度ぐらいまで冷え込んだ。
スペイン人の気性の荒さは気候からきているのだろうか。


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・・・帰国して一年、先日パコに久しぶりに電話をした。彼の誕生日だったからだ。
私が下手なスペイン語を話すと、パコは驚いた様子で「どこで勉強したんだ」と聞いてきた。
私は「道の上だよ」と答えると、彼はスペイン語でまくしたてた。
一体なにを言っているのかわからなかった。



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リスボン

39.Lisboa, Portugal
Cambio para un...

1.ロシアで割れたヘッドライト。
2.4000kmオイル交換していない。
3.どころか、オイルすら入っていない。モロッコの暑さにやられた。日本から持参していた予備のオイル計8本は使い切ってしまった。

リスボンの目的地はバイク屋だった。
かなり道に迷った挙句、地元女性の誘導でなんとか沿岸にたどり着いた。リスボンは本当に道が複雑でわかりにくい。
ロカ岬というユーラシア大陸最西端まであと5キロ。しかし私はなにを思ったかユーラシア横断直前で引き返したのだった。
そう、目的地はバイク屋。
北海道に行った時なども宗谷岬10キロ手前で引き返した経験が二度ある。大陸の端が別にどうでもよくなるのはバイク乗りとしては失格だろうか。

リスボン郊外で迷うこと数時間、ドライバーのペースはドイツ以上に速い。
ようやくシントラのハーレーショップにたどり着いたのは昼時をまわったころだった。http://www.hdlisboa.com/

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オイル交換にかなり厳しい金額を言われたので(日本のディーラーと同額ぐらい)、どうしようか悩んでいると、ロシアの林道で転倒して割れてしまったヘッドライトをみた店主が、無言のまま新品のヘッドライトを持ってきた。
そしてオイル交換とヘッドライトとTシャツ5枚を超格安でやってくれたのだった。

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だれかに期待してはいけないのだが、このあとハーレー屋には期待してしまうことになる。特にヨーロッパで。

このときの整備士が感じの良さそうな気の合いそうな人だったが、ポルトガル語しか話せなかったので友達にはなれなかった。



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どこにでも親切な人がいて、そんな好意に甘えて旅がつづけられた。

ポルトガル ~危険な運転手~


38.Portugal
Vorber Espana y Portugal  
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もともと予定になかったアフリカサハラ。
暑すぎて引き返していったスペインでも猛暑は続いていた。

帰りのフェリーに乗る前、出国時に大変な荷物検査を受けているヨーロッパ人が多かったのを憶えている。
検査を受けているヨーロッパ人は特にヒッピーというわけでもないのに、モロッコ税関職員にクルマ中ひっかき回されていた。
とくにオランダナンバーの車がその被害にあっていて、荷物を全部バッグから出され、トランクやスペアタイヤまで外して検査されていた。繝「繝ュ繝・さ・点convert_20100122012501
他人事なので「おもしれー、なんかでてこねえかな」とおもったけど普通のひとからなにかでてくるわけもない。

私はバイクだったのでモロッコ税関職員の手間をかけず、スペイン入国時も検査は受けなかった。
以前モロッコに行くとき会ったスペイン税関職員もいて終始なごやかだったが、あやしいトラックが私の前を横切ると税関職員の眼の色が変わった。
他人事なので「おもしれー、なんかでてこねえかな」とおもったけど普通のひとからなにかでてくるわけもない。
大型トレーラーのうしろで検査の様子をみていると、荷台の中身が全部背広だった。一体どこの誰がカバーすらかけていない埃まみれの薄汚れた背広を着るのだろう。たぶん2千着はあるだろうその半端ない背広に圧倒されていると、税関職員が私に行け行けというので先を走ることにした。

その日の夜は小さなサービスエリアに泊まった。繝昴Ν繝医ぎ繝ォ+(23)_convert_20100122015108
茂みにバイクを隠せばあとは簡単だ。物音をたてぬようテントを張って隠れるように息を潜める。
すぐ脇にはガソリン支払い所があり数名のスタッフがいたが早朝の店員交代の時間まで気付かれることはなかった。


とりあえずユーラシア大陸横断しとくか。
それぐらいの気持ちでポルトガル・ロカ岬へむかった。

ポルトガルに入ると、ガソリンスタンドでトラブルが起きた。
海外のガソリンスタンドは大概セルフで、料金後払いのため、給油ポンプを持ちあければガソリンが出たのに、ポルトガルではでない。
なぜかと店員に聞くと、どうやら私が目だし帽をかぶったままだったのがガソリン泥棒への警戒心に火をつけたようだ。
目だし帽をかぶったままぐらいで給油させてくれないあたり治安でも悪いのだろうか。
ポルトガルではそれが常識のようだった。ほかの客も私に怒るように覆面を取らないと給油なんてさせっこないだろみたいなことを言っていた。
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ポルトガル人の運転手は危険だ。
時速110キロ以上で走る人がおおく車間距離も近い、おまけに時速90キロで走る私を追い抜いていくときも横をギリギリ抜かして行くので、私は次第に腹が立って、追い抜いて行く車をにらみながら拳を突きつけるようになっていた。
が、ほとんどの運転手は笑いながら手を挙げて通り過ぎて行く。
イライラ怒っているのは私だけだった。
私はあいかわらず自分が情けなく、悪気のないポルトガル人に悪いことをしたなとおもい「ごめんなさい」を30回ずつ唱えた。続いて「ありがとう」を30回。
なにも信じられない世界、藁をもすがる思いで言霊というものに頼るしかなかった。

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レストランで日本食のようなものを食べた。
ポルトガル料理らしいような気がした、メニュは憶えていない。たしか鶏肉とポテトとパン。添え物はヨーロッパの定番だ。
私のほかにレストランには昼休み中の労働者が10人ほどいた。ビールを飲んでいる人もいれば、ポテトを頬張っている人もいる。
そのどの人も、ものしずかだった。
飯を食い、外にでると、さきほどの労働者が日陰で一服している。
話しかけた彼らに笑顔はなく、でも優しさは伝わった。
なにか日本人と話しているような感覚に襲われたのは、彼らが英語を話せないこととシャイでいながら芯があり、乱暴のようで繊細な車のドアの開閉音にあった。
レストランのおばちゃんも言葉では説明できないが日本人に似ているように感じた。
それから出会うあらゆるポルトガル人が日本人に似ているように思えて仕方なかった。繝昴Ν繝医ぎ繝ォ+(25)_convert_20100122013205

この調子でいってみようか

モロッコ最後の町 Tanger

37.Moroc Tanger

モロッコ人と会話するたびタバコを勧められたおかげで、遂に自分でもタバコを買ってしまった。
タバコ売りは、肩ヒモをかけた売り子さんのようなオッサンで、バラで売ってくれるので数本単位で買い、そいつをタンジェの町並を眺めながらミントティーを飲みつつ吸い込んだ。
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モロッコのミントティーは世界一うまいと評判で、ヨーロッパなどで飲むミントティとは比べものにならないほど大量のミント生葉が入っていた。砂糖ドッサリがタバコ病を辞められなくなる原因のひとつだ。繝「繝ュ繝・さ・・(50)_convert_20100116194843

それでもある程度は吸う量を抑えていたのだが、スペインに戻るタンジェのフェリー乗り場近くのレストランでバイクを目の前にテラスでミントティを飲んでいると、外国人が話しかけて「よかったらこれ吸えよ」となる。
この日も近くに座る最初は横柄だったフランス人青年の5人組が、バイクをみるなりタバコを箱ごとくれた。
いらないといえないのが日本人の悪い癖で、じつはタバコはモロッコだけにしておこうと思い、フランス人青年からもらったタバコはフェリー乗船とともにモロッコ人にあげてしまったのだが・・。
「いいのか?」
「俺はやめたんだ」と、海風にあたりながら最後の一本を吸いきる。
「明日には吸いたくなるぞ」
と浅黒いモロッコ人は言った。
彼はフランスに出稼ぎに行くそうだ。
ハードボックスには8本のマルボロが傾きつつ揺れていた。繝「繝ュ繝・さ+(98)_convert_20100116195054

モロッコの森

36.Monte en dicierto
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モロッコは砂漠ばかり。
ときどき現れる草原も貧相に枯れ果てている。

久しぶりに汗を流したくなり、モロッコ北部の町フェズに立ち寄ることにした。
が、海外からの観光客が目についたのでどうしたもんか。
フェズは世界遺産になっているらしく大勢のひとと、まるでヨーロッパのようなカフェが軒を連ねていた。

私はフェズで道に迷った。
どこもかしこも複雑地形のフェズ市街。
信号機のそばに立っている超美人の警官に道を聞いた。
「タンジェはどこ?」
「デレチョ」
デレチョとはフランス語で真っ直ぐという意味だと、あとで知った。
デレチョデレチヨ
モロッコ人はフランス植民地にあることもあとで知ったため、コミュニケーションは言葉でほとんどしていない。

よく言われた言葉は「ラポンセ?」だった。
私はラポンセ=暑いねーという意味だと信じ込み、ダーダーとロシア語で答える。
ロシア語を混ぜた日本語というわけのわからないコミュニケーション法を取った。
それでも会話が成り立つのがモロッコ人のすごいところだ。
言葉でないリアルコミュニケーション法はモロッコ人の仕草にヒントがあることに気付いたのは帰国してからだった。
その仕草とは・・・。


さて、フェズを抜けしばらく走ると岡が目立つようになってきた。
そこでキャンプを試みて林道を入っていくと、緩やかな山の斜面にキャンプに適した牧草地があった。
背の低い草地をバイクで走らせながら、キャンプ適所を探る。
と、草原奥の小屋から私を監視している眼に気がついた。
手を振っても返してくれないことから、私はこの場所は適所でないと判断し、場所を変えることにした。
マフラーからの排気ガスが真っ白になっていて、このときばかりは世界あと半周できないなと思った。

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それからまたしばらく国道を走っていくと森があった。正確に言うと岡に木が生えた感じ。肌色大地モロッコで森をみるのは初めてだった。

森に登山道のような林道をみつけて、素早く入っていった。
もしクルマが来ても、絶対キャンプしているのが分からない場所を探し、廃道をさらに駆け上がって行った。
ハーレーでは絶対通りたくないような道だったが、ロシアで私のバイクはオフロードハーレーと名付けられていたし林道には自信があった。
すでに何年も車の走った後がない林道から、さらに急斜面の道を選んで登る。
一速ギアでガンガン登る。

良い谷間に到着するとエンジンを切り、その場に静かに様子をうかがう。
クルマは来ないか、国道の音はどうか、犬がいてもいやだ。
森の中では大きな石ころが転がっていて、テントを立てるときそれらの石のたまっている箇所や斜面に大きな石がないかの調査も忘れてはいけない。
谷間のような場所だったから、テントを立ててから薪を拾いがてら岩のたまった谷底から斜面を駆け上がり、斜面の状態を入念にチェックした。
倒木のない森、蓄積されるはずの腐葉土は薄く、地面の石も大きく岩肌が目立ったが、モロッコの森は日本となんら変わらず針葉樹がたくさん生えていた。

モロッコでは最初で最後の焚火を起こした。
モロッコの貴重な薪は、そのへんに落ちている針葉樹の枝だ。
乾燥しているせいか勢いよく一瞬で燃えた。折れたばかりの生木までもけむりをあげてもうもう燃えた。
モロッコで初めて蚊をみたのもこの場所だ。

行った先々の国で、必ず焚火するというのが旅の目的のひとつだった。
目的達成できなかった国はチリペルーパナマニカラグア。
モロッコでの焚火は平凡なものだったが、なぜか強く印象に残っている。

このとき自分をビデオに写してインタビューした。
行った国の名前をあげるという簡単なメッセージビデオでは、行っていないはずのメキシコやパナマという名前が挙げられていた。
疲れていたのもあるだろう、気持ちも南米にむかっていたのは間違いのないことだった。







繧オ繝上Λ荳
プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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