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火の地球

55.Tierra del fuego
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フエゴ島に降り立つと、とんでもない強風が吹き荒れた。
まわりには何も無い。ただ草原だけが広がっている。
木など一本も生えられない草原。

車体を斜めに傾けながら時速70キロで走る。
横風が強ければ強いほど速度を上げたほうが前風を受けられて車体が煽られることはないのだが、フエゴ島の風だけは時速100キロをだしたところで横風の影響は変わらない。
フェリーに同乗していた速度の遅いトラック(時速60キロ)を抜かす瞬間、一瞬風が止んだ。
トラックのヘッドを抜かした次の瞬間「buwooooow!!」猛烈な横風。
ハンドルを取られ再び車体が勝手に傾いた。フロントタイヤが浮くような感覚で制御不能に。今にも転倒しそうになった。
耳をつんざく風の音。まるで台風だ。

数キロ走ると砂利道に変わった。
砂利といっても小さな石はどこかへ吹き飛んでしまったのだろう、荒れた路面がむき出しになっている。
まわりは放牧地帯、時おり野生のリャマがいるほかは、ヒツジが無数に飼われている。

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バイク人生でダントツ過酷な走りとなった。
あまりの寒さに強いウィスキーを煽りながら、時速20キロで走った。
アルゼンチンは0.5%以下のアルコールなら平気で、これはフィンランド同等だ。
そしてフエゴ島にはもっと変わった法律がある。
放牧されているヒツジは勝手に食べてもいいという法律だ。
ただし、皮を持っていくとそれは罰則の対象になる。
肉は無料、皮は犯罪ということだ。
これは人命確保のためだろう、厳しい環境ならではの法律である。
だからなのだろう放牧地のフェンスにヒツジの皮が吊り下げられていることがよくあった。

チリとアルゼンチンの国境に差し掛かった。
フエゴ島は両国で分け合っている。
フエゴ島付近では数回にわたってチリとアルゼンチンをまたがなければならない。
国境ではフエゴ島最初の売店があった。
お菓子を売っているようだったが15時まで閉店ということで、メシを喰らう場所はまた先延ばしになった。
そこはシベリアより数倍ヘンピな場所だった。
国境職員もたぶんこのあたりに住んでいるのだろうが私には真似できない。
この強風や春を迎える冬の寒さも我慢というより慣れなければならない職員を想うと私などは楽なほうだ。

前日のアルゼンチン→チリでは、チリ側のチェックが厳しかったのに対し、
今回のチリ→アルゼンチンは、アルゼンチン側のチェックが相当厳しかった。
中米にみられる金で解決できるいわゆる賄賂とは違い、食品の有無を口頭でしつこく聞かれた。
秘境フエゴ島を守らんとする両国の強い意志を感じる。
まさかとは思ったが、ここで手袋を盗まれた。
お気に入りの黒い手袋、黒はスペイン語でネグロ、手袋の意味を辞書で調べて職員に聞いたが出てこず、なのでフィンランドで買った溶接作業用の手袋を荷物から引っ張り出してそれを履いた。

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国境を越えたところにガソリンスタンドとレストランが併設されており、すでに数時間前ギリギリだったバイクと私の胃を満たした。
ガソリンスタンドの彼はどこかでみたような沖縄顔だ。
インディヘナの彼は、持っている服すべて着こんでも震えが止まらない私を心底心配してくれマテ茶の湯を沸かしてくれた。

レストランでのメニューは、サーモンと牛肉しかないので私はサーモン定食を注文した。
サーモン好きでよかった。世界どこでもサーモンだけは手に入る。
むかし釧路の回転寿司でサーモンをいっぺんに20皿頼んで店員に白い目でみられたほど私はサーモン好きである。

スペイン語で「サルモン」、食べたくないけどオマケで付いてくるパンを数個、ついでにお湯をもらいマテ茶で冷え切った身体を癒した。
ところでアルゼンチン南部は、マテ茶の湯を頼むと頼んでもいないのに砂糖をどっさり持って来てくれる。
これは北日本に似ていて、北へ行けば行くほど半端ない甘党が多いのは気候のせいだろうか。

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ブエノスアイレスから2900キロ。
晩冬のフエゴ島は相変わらず強風が吹き荒れる。

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マゼラン海峡 自我考察

54.Oceano Atlantico de Sur

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パタゴニアの南、リオガジェゴス。
フエゴ島に渡るには、南米大陸最南端から船に乗り、マゼラン海峡を越えなければならない。

冒険家マゼランがフエゴ島を発見したとき、夜のフエゴ島にはところどころポッと光る炎があったという。
島に浮かぶそんな火が印象的だったことから、冒険家マゼランはその島をフエゴ島、火の島と名付けたのだという。
その火は、当時フエゴ島に住んでいた原住民の焚火だったようだ。
フエゴ島の純粋な原住民は数年前に亡くなられたようだが、彼ら原住民は日本人とまったく同じDNAを持っていたらしい。
ということは、日本人も焚火が大好きで当然ということになる。

私の住む静岡県は、歴史が浅いといわれている。
せいぜい数100年とも言われている。
ではその歴史とは、一体なんのことか。
そして焚火は歴史に入るのか。

歴史とは、弥生時代はおろか縄文人など先住民のことに触れないことがほとんどではないだろうか。
私にとっての「歴史」は単なる物質的発展であり、人間らしからぬものも含む。
変貌を遂げず一万年以上つづいた縄文時代を歴史と呼ばず、ここ100年足らずでの進化を人間は歴史とよぶ。
歴史とは、なにかを作り、そして作ったものを壊すこと。
自然崇拝
寒さが増すと思考回路が稼動する。
この日の日記はここでおわりだが、

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フエゴ島で焚火、いいじゃないか。自然に還ろう。
ところが、焚火できるような場所などマゼラン海峡付近にない。
とんでもない強風が吹き荒れテントを張れる状況ではない。
とりあえず腹を満たそうと、暗闇に浮かび上がったマゼラン海峡唯一のレストランに入った。
レストランには一緒にチリに入国したトラックドライバーがいて、マゼラン海峡をわたる船は夜は運行していないことを聞かされた。

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深夜1時の国境付近のレストラン
6個あるテーブルにはふたつの団体がいて、それはアルゼンチン人とチリ人のものだった。
なんでもアルゼンチン人はチリ人が苦手らしく、またその逆も同じだと何度も聞いていて、この日もアルゼンチンとチリできれいにテーブルを分けていた。
この因果関係は国境付近からくる境界線の関係か、隣の国同士を非難し合うのは大陸ならではかもしれない。
たしかにアルゼンチン人は明るく騒ぐのが好きで、チリ人は物静か。性格は正反対だった。
これほどはっきり隣り合わせの国民性がわかる国境付近ならではのレストランに入ると、チリ人のトラックドライバーたちが私をテーブルに招待してくれワインをご馳走してくれた。
ついでにサーモンを注文し、パンを白ワインで流し込んだ。
しばらくすると、すぐ隣のテーブルに座っていたアルゼンチン人のグループが私をテーブルに呼びロゼをご馳走してくれた。
すべての瓶が空っぽになるほど大盛り上がり。

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チリ人も一緒に盛り上がりつつワインを飲むかと思いきや、そのまま黙ってチリ側はチリ側で静かにワインを飲んでいた。
写真撮影のときだけはテーブル国境関係なく一緒にフレームにおさまってくれたから私の良き思い出である。
さて、人種問題にふれてしまったからついでにお話しすると、日本人のなかには中国人を軽くみている人が時々いるように、中国人は日本人というだけで軽くあしらうのだろうか。北アメリカの一部は道を聞いても無視する中国人はいたが、世界のほとんどの中国人と韓国人は、私が日本人というだけでとても親切にしてくれた。
私は、私を中国人と呼ぶ西洋人に腹を立てたりしないし、むしろ嬉しい気分のときもあった。
それだけ中国人が世界に台頭している証で、同じアジア人として勇気をもらった。
私たち日本人がアルゼンチン人とチリ人を見分けられないように、外人からすると東洋人はすべて中国人だ。

平和と闘争の根本は自我にある。
地球人が国境などの所有権やエゴを捨てたとき初めて真の平和がくる。
個々が善悪の判断をすべて「まわりが決めた常識」に委ね、疑うことなくそれが永遠に受け継がれるとなれば、日本はおろか地球人は他の惑星から尊重されることは有り得ない。
つまりそれは強いエゴを持つ人間は、自分たちの儲けに繫がる人種以外には「友人」としては相手にされないのと同じである。
いまこそ世代や地域、国境を越えた「調和」が必要な時。

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レストランの陰にかくれてテントを張らせてもらった。
風が強いとテント設営も容易でない。
風に飛ばされながら苦労してテントは張れたが風速20mからなる強風を覆いきることはできず、深夜テントの支柱が折れそうだったので支柱を抜いて寝た。
この状態で寝ているとテントが顔に張り付いて息ができない。
ダッフルバッグを頭の上に置いて安眠したのだった。

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朝になり、マゼラン海峡をわたる船が到着した。
乗船代は季節はずれのバイク乗りということでタダになった。
船の甲板では私だけにとパンとマテ茶とワインが振舞われた。
気温3度、超強風。つらい時ヒトの優しさが浮き出る。

フロンテーラ


53.perro mucho

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アルゼンチンには野犬がおおい。
この野犬たちは普段おとなしいが、ひとたびバイクのエンジンを掛けると吠え出し、走り出す。
そして延々追い掛けてくる。
なかには咬みついてくる犬までいて、咬まれれば間違いなく狂犬病である。
事前に狂犬病予防接種はしていたが咬まれれば発症する危険性があった。
南米ではバイクのエンジンを掛けてすぐさま走り出さないと狂犬病になる。

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さて、そんな問題野犬児を振りほどきながら、チリとの国境付近に差し掛かっていた。
深夜11時、国境近くの検問所で野宿するため警官に許可をもらおうと話しかけた。
すると親切な警官が警察署本部に問い合わせをして、ようやく許可がおりたと思ったら、事故で大破した大型バスの真横に連れて行かれ「ここならいいぞ」。
空を見上げると高圧電線、検問所から少し離れていることから外灯も届かない。
本来の目的「風」をよけることもできず、目の前に広がる谷から冷たい風がこれでもかと吹き荒れた。
心理的に無理な要素が重なった。

許可をもらった警官の眼を盗みつつバイクのエンジンを掛け、その場から再び走りはじめると、更に風と寒さが増した。
気温は3度ぐらいだったと思う。道路標識も曖昧になり、どうするべきかと給油と腹を満たした。
あまりの寒さに強い酒をひと口あおり、国境にむかうことにした。

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国境に到着したのは時間的に「国境閉鎖」直後だった。
他のトラックドライバーも、せっかく国境についたのに!と唸っている。
国境でテントを張るのもよかったが、トラックドライバーと共に国境手続きをやってもらうべく係りの者に交渉に入る。

国境は辺鄙なところなので、そこには係りの宿舎が併設されていた。
私とトラックドライバーふたりで宿舎の戸をたたく。
すこし酔ったアルゼンチン側の兵士がでてきて、よしやってやるよ、と言ってくれた。

国をまたぐ手続きはロシア~フィンランド以来だったので緊張したが、もうその緊張も慣れたものだ。
バイクの手続きもテキトーに終え、こんどはチリ共和国側の入国手続きに入る。

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国境で気付いたことがある。
アルゼンチン側の国境警備兵の雰囲気とは逆にチリ側の税関職員は平和的ということだ。
手続きをしてくれたアルゼンチンの「国境警備兵」は腰にハジキを差しているのに対し、チリの「国境職員」はなぜだか小指の爪が異常に長く、まっさらなYシャツで、それはまるで市役所の役人みたいに淡々と入国審査をしてくれた。
チリの国境職員が唯一食品に関しては厳しくチェックされた。
たぶんフエゴ島生態系への注意喚起だろう。
醤油を取られたらマズイので適当にごまかした。
この頃の私はどんな料理にも持参していた醤油を掛けていた。

スペイン語で国境のことをフロンテーラとよぶ。
私はてっきり大自然という意味だと思っていた。それに違いはないのだけど。

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頼りない細い線が書かれた地図と違い、国境周辺は舗装されて走りやすかった。
外灯のまったくない闇の道。
横風だけが猛烈に吹きつけていた。

プロフィール

masatorakun

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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