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長生きの秘訣

71.sonrisa es Importante

ペルーで警察に停められた。

警官に停止命令を受けたのは数多くある。
特に南米では。警官ワイロもある。
時にはライフルを突きつけられる。心の弱さを露出するとワイロは値切れなくなる。
ワイロを値切ることのできる土地柄のひとたちは軍や警察に不満を持っていないのだろうか。

今回はスピード違反ということだ。たぶんホント。
30キロ制限のところ110キロもだしていたらしい。信じがたい、自分の行為。
田舎道は信号機がない。一直線のつもりがロータリーだったためこの結果である。
見通しは限りなく地平線だったからマナー上は問題はない。
なにかを請求されたらいけないので慌てて警官たちをカメラで激写。
これが例え写真のように顔が写っていなくてもパフォーマンスとしてワイロ請求に強い味方をしてくれる。
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しかし今回は本物のスピード違反。
罰金日本円で2万円といわれ、おもわず私は、

「俺はフジモリ大統領の親戚です!」

と言った。

「フヒモリいま30年の刑だよ」
警官たちは平静に言った。
当時、元フジモリ大統領は30年の刑を不服として揉めていた。
政治献金が原因らしいが、しかし国民からの好評価は今も残る。
ペルーからゲリラを無くしたのも砂漠に水道を引いたのもフジモリさんだ。
田舎へ行けば未だ「Viva Fujimori」の落書きがある。
隣国エクアドルでもフジモリ大統領に関してはイイ噂しか聞かなかった。
これは私が日本人だからというだけではない。

「俺はフジモリ大統領の親戚です!!」

二度目の告白。
警官たちは困った表情を浮かべた。

ウソにもほどがある。

どうでもいいから早くしてくれ。
ところで、笑える冗談というのは自分にとってもまわりにとっても、生きる上でとても大切な要素なので、
真顔で「ウソとわかる笑える冗談」を言えるテクニックを身に着けたいと思っている。これさえあれば長生きできると本気で思うからだ。
笑いの耐えない柔軟な発想こそ長生きの秘訣。
もちろん「微笑み」という、感謝が溢れ出してでる究極を追求することも最大限やっていきたい。
まわりも笑顔、自分も笑顔、そんなウソなら大歓迎。
このときの警官たちは私のユーモアに笑顔ひとつみせなかったが、ユーモアセンスは買ってくれたようだ。

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彼らは離れたところで相談し始め、その結果、あいつ(私)は面倒なヤツだということになり開放された。
警官の顔をよくみると阿寒湖のアイヌの友達にそっくりだった。私はその顔に愛着がある。
アイヌは私のために時としてとても厳しいことを言ってくれるが、ほとんどの時間は底なしに優しい。

警官たちは真顔で、
「スピード出すな、安全運転でいけ、メシを食え、タバコやめろ、家まで帰るんだぞ、良い旅を!」



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お咎めなしにしてくれたことに感謝は無い。
が、たくさんの言葉をかけてもらったことに対する気持ちは、この日を充実させるに足る出来事だった。

会社にも家庭にも、果ては動物の世界にもこの世は決まりごとが非常に多い。
優しい笑顔の人格者が増えたら決まりごとも減る。

自分以外の人の幸福を真剣に考えられる人々の国は厳格な法が整備されていない。
徳のある人格を形成するにはなんでも経験して選択肢の幅を広げることが大切だと思う。

砂漠真っ只中。
他に車が通る気配は一切ない。
早朝6時の砂嵐。私は警官たちに別れを告げてアンデスを越えた。


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Puede cambio mi janta


70.Lima

ペルーの首都リマで,タイヤ交換。

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アンデス山脈を数度越えた。
最低な道が広がっていた。

道路の舗装が突然切れていて、それだけならまだいいが、
舗装が切れたところに穴でもあったのだろう、バスケットボールぐらいの岩がいくつも埋め込まれていて、
そのバスケットボールが半分しか埋まっていない。そこに時速80キロで乗り上げた。
あとでタイヤをみるとタイヤに亀裂が走っていた。
リマ手前140キロ地点である。

ハーレーはいいバイクだ。世界一周中プラグも交換しなければキャブレターも一度もいじらず絶好調で走り抜けてくれた。
しかし弱いポイントもある。タイヤがそれだ。
上の写真のタイヤには他にも亀裂が3箇所あった。溝の部分が弱い。
世界一周中3回ほど交換した。
硬さを重視した作りは平坦な道では耐久性に優れているが、凹凸砂利道では弱い。
タイヤ同様、世界を走ってわかったハーレーのウィークポイントが数点あった。詳しくは会って話します。
日本で走る分には問題ないと思う。

そんなわけでリマでタイヤ交換となった。ペルー国内唯一のハーレーダヴィッドソンディーラーにむかう
が、ハーレー屋は跡形もなくカジノに大変身していて、社長がでてきて、ハーレーは商売にならないからカジノにしたゴメンネといわれた。

リマでたぶん一件しかないバイクを扱うバイク屋を教えてもらう。
そこに立ち寄りタイヤを注文する。在庫がないため1日半待ち。
しかしよく考えると、1日半でどうやってタイヤが運ばれてくるのか不思議だ。
チリサンチアゴまでは少なくても4日。エクアドルのキトまで3日はあろうというのに、
いったいどこから1日半でタイヤを仕入れるのか疑問だ。まさか航空便。。
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なんなくバイク屋にタイヤを交換してもらった。
本来なら自分でやりたかったところだが体力的にも精神的にもかなわない。
おかげでペルー人のタイヤ交換の技術をみることができた。
ペルーのタイヤ交換は、ケミカル用品は一切つかわない。
主に使用する用品は唾液である。バールなどの工具を抜かせば、あとはタイヤを取り付けたり取り外す際の油類はツバである。
別にそれが当たり前の世の中にいると、不思議と当たり前の光景になっている。


タイヤ交換で出費が重なり現金がなくなったので、まだ換金していないチリペソを米ドルに両替することにした。
ちょうど日曜日だったので銀行はやっていなかった。
しかたなく街をぶらついている両替商に両替をしてもらう。
両替商は前歯が全部ない感じで迫ってきた。
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私を頭の悪いやつだと思い込んだ両替商は「50ドル足りない額」で私に手渡してきた!(笑)
「てめーは最低な両替商だ」と言って、丁寧に理由までつけて怒っているフリをしていると、両替商仲間が一斉に集まってきてヤバイ雰囲気に。
私が50ドル足りないことをみんなに説明すると、それは両替商が悪いということになり、
両替商が持っていた札束のなかからドサクサまぎれにUS100ドル札を抜き取り、気づかないうちにその場を走り去った。
その100ドル札は偽札だった。

バックミラーには両替商が内輪モメしたのち、100ドル札をとられたことに気づいて追いかけてくる様子が写っていた。
私はハイウェーに乗った。

・・・ちなみに偽100ドル札。
メキシコで理不尽なワイロに使うことになる。
悪い金は悪いところに集まる仕組みらしい。



PERU 笑顔の漁村

68.EL PERU

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ペルーでキャンプ。
焚火の薪は期待できない。
そこかしこで竜巻が起こるため安心して寝付けないこともシバシバある。
ペルーキャンプ命がけ。


アメリカ大陸では、三大美女なる国がある。
Chileチリ、Colombiaコロンビア、Costaricaコスタリカがそれである
国名に「C」がつくこれらを3C美女大国と呼ぶらしい。

たしかにコロンビアでは石を投げれば眩い美女にあたるし、コスタリカだって美人が多い。
個人的にチリ美女は好きである。
しかし、これらの国の美女たちは南米インディアンと白人の混血(メスティーソ)であり、
どこか日本人の雰囲気とは違った人種なのである。


逆に、ペルー、ボリビア、エクアドルなどに住む、純血のインディアン女性のほうが美しくみえた。
もともとアメリカ大陸に住むインディアンと我々日本人は同じルーツを持っているとも言われており、
インディアンを美人と思うのは日本人として当たり前といえば当たり前である。

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チリ国境を越える手続きが深夜に及んだため、ペルーに入って最初の売店の裏で野宿することにした。

売店では優しさの溢れた女性二人が帰り支度をしていた。
写真でみると普通だが、このときは!超美人!!しかも二人、まばゆく目の前にいたのである。
ああ、祖国静岡へ帰ったのだな。そう思えるほど、彼女たちをみて心の安らぎを覚えたのです。

私は「どこへ行くんだ?」と尋ねた。
彼女たちは「いまからクラブへ踊りに行くのよ」と髪を整え始めた。

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翌日気づいたのだが、国境付近は見渡す限り大砂漠。
たぶんクラブまで車でおそよ2時間はかかるだろう。

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彼女たち、見た目は少し浅黒いが、まったく日本人である。
テントを建てていると「はい、これ」と、テント下に敷くためのダンボールを持ってきてくれた。
「アスファルト冷たいわよ」と。
まるっきり大和撫子なのである。
写真を撮ってくれたお礼にと、チーズが載った食パンをご馳走してくれた。
ぜんぜん似ていないハズなのに、小学校のとき大好きだった女子に似ている。

閉店間際の売店のなかで、ペルーの地図はあるか尋ねたが、無い。
別に聞かなくてもいいことで彼女たちの帰路を遅らせている自分がいた。
ヤバイ、気をつけろ。女は危険だぞ。

「地図ほんとうに無いィ?」

地図の必要性は薄れていた。
道に迷えば地元住民に聞けばいい、旅の楽しみを増やすため地球半周分の地図は持たなかった。
バイク旅でのコミュニケーション不足を解消できる方法でもある。
地図を持たないことで心の余裕は不思議と助長した。

時間はすでに午後11時。国境警備兵の宿舎のまんまえで野●そをして就寝した。


翌日、晴天。
テントをたたんでいると見知らぬライダーが近づいてきた。

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アルゼンチンから南米中を旅していると言う彼は、私より見た目が年上の5歳下。小6のとき小1である。
彼のバイクの排気量は125CC、南米を旅する若者ライダーのほとんどが小排気量でがんばっていたのを思い出す。
それにくらべ私のバイクはその10倍もあり、一直線が多いペルーの砂漠ロードでは気持ちのいい走りができた。
ただ、砂漠でのキャンプはそれが足出まといにもなった。キャンプポイントを探そうと砂漠に立ち入ろうものなら、すぐさまタイヤが砂に埋まるから大変である。
倒してしまうたびに荷物を降ろしてバイクを引き起こした。

ペルーの住民はそのほとんどが日本人のようだ。
言葉が通じなくても笑うタイミングが一緒。
私の出会ったペルー人がペルーの印象なら、
ペルー人が出会った日本人の印象は私で決まる。

私が走った数十カ国のなかで「一番危機感」を持ったのがこのペルーという国だった。
なにせ人はみな「含み笑い」をし、本当の笑顔をみせてくれないのである。
国民の54パーセントがインディオ、残りが混血であり、これがまた恐ろしいぐらい日本人なのである。
ペルー人の顔が怖いということは、
初対面ではあまり笑顔をみせてくれない日本国民は他国からみたら冷たいと思われているかもしれない。
笑顔は初対面の人に一番最初にできる優しさである。
それとともに笑顔は、他民族に対して日本を好印象にする第一の顔力。
英語がもっとできる国民であれば日本の印象も少しは変わるだろうが、現状は英語も出来ない笑顔のない武士道で忍者でアニメの国、嗚呼きっと不気味だ。
これだけ発展して物質上シアワセな日本人、だが笑顔が少ない。バーチャルしすぎたか。
ラテンの国ペルーも、問題のすべてを吹き飛ばせるほどの笑顔が少ない。
そういう意味では日本とペルーは似ている。

みんなが含み笑いをして私を迎えてくれた沿岸の、とても小さな村がある。
歩いている若い女性が投げキッスをして迎えられた漁村は、
座礁した穴ぼこの漁船がそこらじゅうに置かれてある。
雰囲気で「ヤバイ」と感じた。

村の道端は、そこらじゅうに人がたむろしていた。
喉が渇いたからという理由だけで立ち止まってしまった。
腹減ったとか、喉かわいた、タバコ吸いたい程度の理由で、
場所の雰囲気もかえりみず立ち止まるとロクなことがない。
シベリア東部の林道区間も中途半端な村で立ち止まるとロクなことがなかった。
そのことをバイクのエンジンを切った直後に思い出した。

人種がわかると標的にされかねないため、私はいつも眼だし帽をかぶって運転していた。
アジア人であることが知れると完全に舐めて掛かってくる。

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マスクをかぶったまま村の売店でインカコーラを買っていると、
「おまえどこからきた」

「日本からだ」
というと、
「にほんじんか」、ぞろぞろ仲間が集まってきた。

私はナメられまいとマスクを取る直前、恐ろしい形相で武士になった。
軍服に縫い付けられた「SAMURAI」の文字を心に刻む。

私に怖いものなどなにもない、ハズ。高いところ以外は。
殺される前に殺す姿勢をみせることが南米では必要である。
言い過ぎといわれるかもしれないが、私はこの姿勢を中南米では崩さなかった。
とくに田舎の小さな村ほど法は村自身であり自分自身と感じている。

3歳ぐらいの子供が、すすけた服、炭のついた泥だらけの顔で私の足元にやってきた。
私は先ほど買ったインカコーラを飲むため、噛んでいたガムを路上にッペっとすると、
ピンク色のベベを着たその子供は、私が吐き出したガムを拾い上げて噛み始めた。
「それダメだよ!ノーノー」と私は言った。
しかし幼女は「なぜ?」という表情をした。
まわりの大人も笑みを浮かべて私の一挙手一動をずっと監視しつつ、徐々に仲間が集結している。10人以上いる。
べつになにをされたわけでもないが、足の震えが止まらない。
みんな笑顔なのに、こわくて仕方ない。
このままあと10分いたらヤバいことになる。
震えが止まらない手でエンジンを掛け、名もない漁村をあとにした。
しばらくバックミラーを監視しながら追っ手が来ないことを祈る。
私の一生忘れられない恐ろしい場所は、笑顔の漁村だった。

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頭頂部が真っ赤に禿げあがった2mの大きな鳥が犬の死骸に喰らいついていた。
時には私めがけて飛んでくるような仕草をする。
動物園のコンドルに比べて目つきが異様に鋭く殺気を感じた。

プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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