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コレラ

73.mar

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ちいさな食堂でメシを喰った。
食べたご飯は大概わすれてしまうが、この日のメニューは覚えている。
チャーハンと骨スープ、ヤギの刺身、ぬるいトマトのサラダ。
すべてがセットメニューで勝手に出てきた。
昼時だというのに、この食堂にはいつまで経っても人が寄り付かない。
ゆいいつ営業マンらしき人物が常連のような感じでメシを食っていた。
30代半ばの姉妹経営の食堂は、バラック屋根の塀のない小屋に極小調理場と裏にトイレらしき溜め場があるだけ衛生悪だが気にしてたら道端食堂はムリである。メニュー表は無い。

少女がなぜか何度も通りかかってウィンクをしてきた。メシすべて完食。
気温のせいで生温かいサラダ、ヤギの刺身も「イイ感ジ」
ああ、あとはテント張れる場所さがすだけだ~



コトは数時間後におきた。
人が来ないイイ場所を見つけたなと思ったのもつかの間。激しい下痢吐に見舞われた。
完全に食中毒と気づいた砂漠のキャンプ。テントを張っているにもかかわらず朝までテントの外にいた。

吐しつつも横になって口のなかに砂が入ってジャリジャリ。
気温は暑いのに寒くて、べったり汗をかき、
眠いのに調子が悪く、無意識なのに調子の悪い自分を意識したとき、これはただごとではないと気づいてしまった。

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この日を名づけるなら、腹筋キャンプである。かなり腹筋が鍛えられた。



不調三日目の気温40度のある寒い日、いつものようにトイレに行った。
腹こそ痛くないがもよおすのでトイレに行くと、いつもの調子。
色が白くなっていることに気づいた。においが紙のよう。これらの特徴はコレラに似ていた。
水を飲んでもすべて吐き出してしまう。
ペルーのアウトローたちの大蔵省は嫌なのでホテルに泊まった。

布団をかぶっていても寒い。寒いというか、身体の震えが止まない。
日本の胃腸薬第1位の正露丸が効かない。一気に10錠のんでみる。ほどなくして吐き出した。当然か。
水を飲む。胃がタプタプしている。正露丸、正露丸、エンドレス。

私は、極限になると更に極限を求めたがる。
中学生の真冬、あまりの寒さに上半身裸になって大声をあげながら自転車を走らせたことがある。
それに似た感覚で、ホテルを飛び出し鬱々とした気分いや意識朦朧のままバイクを走らせた。

本当はそんなこと思っていないのだけどペルー人が憎くて、そういう敵対心のような覇気を持っていないと身体が動いてくれなかった。
ある博物館で休憩中も、話しかけてくるペルー人男性に悪態をつくと、
そのペルー人は、私のポケットから落ちた砂糖の袋(これだけは身体が受け付けた)を拾い上げ大丈夫かと聞いてきてくれた。
トイレに行くとニオイでまた吐きそうになるのが嫌でそのへんのゴミためのような路地でタチしょんしていると、
タチションするな!と注意されて「理解できないプータ」と言ってみたり、とにかく悪。体調が悪だと心も悪。

道端で気温40度のなか、寒いのに水を頭からかぶり、バイクの脇で寝た。
すべてを敵だと思い込んでいた私に話しかけてくるおじいさんがいた。
年は75歳ぐらいだろうか、
「だいじょうぶか?」
私はゼンゼン大丈夫じゃなかった。むしろ死ぬかと思っていた。が、大丈夫と聞かれれば大丈夫と答えるのが日本人である。
「だいじょうぶです」
と私は答えた。聞いてきたほうも大丈夫と聞けば、ああ大丈夫なんだなとどこかへ消えるのが普通である。

ところがこのおじいさんは、私がいくら大丈夫と言っても、
「おまえ大丈夫じゃないよ、家においで」
そういって私の腕を掴んで家に連れて帰ろうとする。

動けないのである。バイクだって運転する気になれないし、とにかく動きたくない。動けば上下から刺激。
ついでにペルーは治安が。。おじいさんの目はすばらしく優しかったが、動きたくない。

仕方なく私は最後の手段で本当のことを言った。
「セニョール、俺、たぶんコレラです」
伝染病のコレラと聞けばなにかの処置をしてくれると思っていた。
ところがおじいさんは、
「だからなんだ。そんなことは関係ない。家にきなさい」・・・・・。


結局私は、一人暮らしだったおじいさんのバラックに二週間お世話になった。
仮にこのとき、おじいさんが私の言葉だけを信じて、ひとりで家に帰っていたらと思うと、いまでも考えるときがある。

おじいさんは50年のあいだ畑仕事で豆を作っているらしく、昼間はほとんど家にいなかった。
そのあいだ私はトイレに行くか、穴があいて中から餡子がでているソファーという名のベッドに横になるか、
あるいはソファーに横たわりながらすすけた天井のシミの歴史を想像しては具合が悪くなった。
気持ち悪ければ悪いほどシミの歴史は、勝手におじいさんの最悪な過去になり、それが結果さらなる体調不良を招いた。
自分の走馬灯をみなかったことは生き延びると確信するに値する出来事ではあった。

メシを受け付けない私に、おじいさんは流動食を意識したのだろうビスケットとパン、それに大量の水を流し込んで食えと言った。
ビスケットは湿気ていた。乾燥地帯のペルーのビスケットは湿気ている。なぜだ。湿気ているがボロボロする。
味はチョコレート、以来チョコレートが少し嫌いになったが、エクアドルでまた好きになった。
相変わらず正露丸はまったく効果がない。

おじいさんから水色の錠剤を貰いそれを飲みつつ、そういえばと、バイクに積んであった赤玉を思い出した。
赤玉は過去、青森の五所川原にあるゴールドラッシュというバーでぶーちゃんという友達としこたま酒を飲んだ際、胃腸炎になったとき絶大な効果を発揮してくれた。当時日本一周中だった私は、青森から群馬県までずっとげりと嘔吐を繰り返し、群馬は新治村の陶芸家に赤玉を貰って事なきを得たのである。
さっそく赤玉を飲んだ翌日から、なんとなく嘔吐が収まりはじめた気がした。

ペルーのドラマは最悪だった。
白黒テレビがそれに拍車をかける。南米の昼ドラ。14インチ。埃にまみれたアンテナ。においには慣れた。
昼ドラの共通点はフリンだなんだとドロドロしてる。しかも変なパーマで若くもない。
ああ具合悪い。余計に。それに気づいたとき、かなり体調は良くなっていた。

つづく
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Quiero un Gasolina

72.Gasolina

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私のバイクはガソリン満タンで300キロ走る。
ナスカまで100キロぐらいだと思い込んでいた道のりがなんと250キロあったことに気付いたときにはときすでに遅かった。とんだ思い込みでガス欠に気をとられ景色どころではない。外は砂砂砂。砂漠である。
大統領の名前入り壁の落書きは砂に埋もれ、閉鎖数年のガソリンスタンドだけがたたずんでいた。
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ナスカ教の京都様。

アクセルを数ミリ単位で調整する。エコ。

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結局、ガス欠にはならず、給油時から450キロ走り切った。普段より150キロおおく走ってしまった。
1リッター走行距離18キロのバイクがナスカでは30キロを記録した。
エコドライブもできるものである。

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ガソリーナちゃん
スペイン語は男性名詞と女性名詞がある。
なかでもセニョリータ、セニョーラは女性そのものを意味する言葉である。
ガソリンのことを「ガソリーナ」という。名前の響き時代が女性名詞っぽい、どう考えても女性名詞に思えて仕方がない。
ついでに煙草のことをシガリージョという。
これは私の勝手な思い込みであるが、私の欲しがるモノはすべて女性名詞であった。
タバコはシガリ女であり、ガソリーナはリナという女性である。バイクも女性名詞で、La moto
ちなみに女性がほしがるものはすべて男性名詞ではじまる。EL Nino(エルニーニョは子供の意味)
このことを地元の人と話したのだが、やっぱり私の身勝手な思い込みだったようです。
深い意味があるからこそ言葉っておもしろいと思うんだけどなあ。

プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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