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AeroPuerto

78.mi entra

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腹の状態がわるい。
宿には日本人旅行者が大勢いた。たぶん15人ぐらい。みんなバックパッカーだ。
そんな彼らに道程を聞かれたとき、ひとりの旅行者がトイレから戻ってきた。
シベリア→ヨーロッパ→アフリカ→南米・・
バイクで走ってきた道を話すと、彼らは「僕らと、まったく一緒の、旅ですね」と言った。

元々具合はわるかった。
身体の不調は心の不調も招くのだと知ったのはこのときだ。精神的に病んでいるのがわかる。
テメーらに命がけで走ってきたライダーのナニがわかる、そんな感じ。ああ、ダメダメ。
宿内では、ひとりぼっち。慣れている。誰とも話したくない。


朝9時起床
夜のロビーに人影はない。
トイレで最悪体験していると、外から陽気なラテンインディアン音楽が聞こえてきた。窓を開けると春の風が吹いていた。

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パナマ行きの飛行機を探した。
本来はエクアドルの次はコロンビアなのだが。。

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エクアドルからパナマに飛行機で抜けようと思った。

航空会社を探した。
午前中よかった天気も、昼から大雨。体調も。
とにかく大雨。

数時間。

宿からキト空港までわずか数キロ。この距離では雨具を着る意義が見当たらず、
空港に付随している航空会社にびしょ濡れで入って行くと、超美人の受付おねえ。
ところがこの美人のいうことったら、やたらと高額。オマケしてくれないので気がないと判断。
日本円で60万円ちょっとがバイク輸送と人間のコストである。貨物専用飛行機。一般搭乗の飛行機は別。
その他、バイクをクレートボックスに梱包も手配が大変だ。ちなみにエクアドルにはハーレー屋はなく、
ハーレーを梱包できる程度の木箱は自分では空で分解されるものしか作れない自信がある。
一般おとな一枚パナマ片道行、のはずが、チケットも往復で用意しなければならない。
「片道」チケットの場合パナマは入国拒否される場合がよくある。そんな問題があるため片道チケットを販売している旅行代理店も無い。
往復チケット25万円。
エクアドル→パナマ=総額60万円(バイク輸送+梱包+人間)

タケー。


色々まわったが60万以下の条件が見つからない。
最後の店にしようと、この旅行代理店でいい条件がなければ諦めて高額輸送費(60万円)を払い、パナマに抜けるつもりだった。
だってコロンビア=・・。

代理店に入店すると、男がびしょ濡れで立っていた。手にはヘルメットを持っていた。

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私の番になりオバチャン店員にチケット代を聞いていると、表に出たはずのびしょ濡れライダーが戻ってきて私に話しかけた。
「お手伝いできることがあれば、たすけるよ!!」
名前をパブロといった。握手した。

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バケツをひっくり返したような雨がふっていた。
びしょ濡れライダーパブロはヘルメットを持ったままバイクを取りに行くと、ものの3分で走って戻ってきた。オーストラリア製のモトクロスが彼のバイクだ。

色々な航空会社を一件一件、一緒にまわって通訳してくれた。
エクアドル人には珍しく英語が堪能だったが、肝心な私は彼のネイティブ英語風が聞き取れていない。

結局、条件にみあった航空会社はみつからず、
私の泊まっている宿を聞き出した彼は「あとでむかえに行く」と言って、早く着替えたいといって次の信号で別れた。

夕方、車で宿までむかえにきたパブロは、友達もつれていた。
男の名はクリスといった。巨漢であるが、目は優しかった。

パブロは新聞記者である。
車に乗ってしばらくするとパブロが電話で話し始め、切ったかと思ったら突然、
「スクープがあるから、降りてくれ」
と英語で私たちを道端に降ろした。巨漢のクリスは慣れっこみたいな感じで車から降りて、やんだばかりの夜の雨の道をふたりで歩いた。
パブロの英語は難しいよね、と言うと、そう早いよね。そんな会話をしながらクリスの家にむかった。
その日はクリスとクリスの奥さんの三人で中華料理を食べに出かけた。
ひさしぶりにウマそうなメシだったので、注文しすぎたのを止められた。

頃合をみてパブロが合流して、私を市街中心部の日本人宿まで車で送ってくれることになった。
泊まっていけばいいのに。と何度も引き止められた。

別れ際「じゃ、あす」とパブロとクリスは階段の下から手を振った。
深夜のキトは危険だからと、宿に入るまでチェックしていた。なんと優しい人たちだ。

その日わたしは体調不良最前線。便所にかけこむこと数回、熟睡していない。
コレラ最後の攻防。

翌日
パブロとクリスは、約束どおり昼過ぎに私を迎えにきた、ふたりとも手にはヘルメット。
ふたりとも今日から日を空けずキトライダーである。
「さあ、荷物をまとめろ。俺の家にくるんだ!」
宿に泊まっていた多くの日本人バックパッカーは私に注目、現地の友達がすぐにでき、しかも「泊まれ」という。
なにか、とても誇らしい気分になって、日本人宿をあとにした。

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cincomil metorlluvia

77.mucho lluvia

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エクアドルに入国してまもなく、とんでもない暑さで食欲不振になった。
気温40度以上、さすが赤道。

運yoku食堂をみつけてしまったため、そこに入る。
またしても「yagi」のスープがでてきて飲み干した。南米汁はyagiが主流.
スペイン語で「ポジョ」という非常に覚えやすい名前だからメニュー90㌫鶏肉。
バナナの畑もめだつようになり、食事にもバナナ焼き。うーん。うまい。
まだ本調子ではない身体を心配しながらエクアドルの首都にむかう。

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しだいに雲行き怪しく、山道に入るころは完全に雨。

一車線しかない山道は、トレーラーにより大渋滞。ひでー道。たぶん10キロ以上の大渋滞。市街地の午後6時過ぎみたいにノロノロ。
標高差アリ。
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「あっち」いったり「こっち」いったり、いっこうに谷を越えない。
谷の底まで下ったかと思ったらまた谷の頂上にむかう。いっこうに進まない。
普通は谷を「越える」ルートが大体の難所だが、エクアドルの場合は谷谷谷。いっこうに越えない。
この国の山岳地帯は無意味に1500~4000mを下ったり登ったり延々繰り返している。


エクアドルの山ご紹介コーナー

チンボラソ(標高6310m)
コトパクシ(標高5896m)

大雨のバイクで高山病。なんにも考えてないので合羽は着ず。
気温も、40度近くから2時間で0度。

ようやく完全くだり道。
感覚では2000mを一気に降りていく感じ。
街がでてきた。
エクアドルの首都キトだ。

キト(標高2812m)

一日で何度もの高低差、雨でビッショリの身体。
カッパを着る余裕もないほどなにも考えてなかったため、おかげで風邪のような症状。ばかが風邪をひく。

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キトに到着したのは夕方すぎ。
あたりは薄暗く、しかし街は活気づいている。なんかヤバい感じ。キャンプはムリ。
タンクバックにしまっておいた日本人宿帳にて物件検索。
あったありましたスクレという宿をみつけました。
腹の具合。宿の宿泊客も原宿並に混雑してる。
ぬるめのシャワーで冷え切った身体を温める。
まだ小雨のなか町へ買い物に行きクッキーとコーラを買う。
部屋に戻ると、いつのまにか寝ていた。
耳には栓がしてあった。

朝方、何度も目が覚めてトイレに行った。
腹の具合がヒ。ヒドすぎる。
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標高差数千メートルを一気に駆けのぼろう。

オテル

76.Ecuador

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入国してしばらく走ると太陽がおちこんだ。
キャンプする場所もみつからないので今日はホテル。
バイクを中に入れられるセキュリティのしっかりしたホテルを少し大きな町の中で探すのは,田舎と違って意外と大変である。
地元民に聞くと、便所がくさいホテルに案内された。くさい。
そのホテルは通り沿いに面していて駐車場がないため路上にバイクを置くハメになる。

仕方なくこの町きっての五つ星ホテルに滞在することにした。ボロい。
それにしても南米の高級ホテルの多くは「サンフランシスコ」という名前を使用しているがなぜだ。
その日はサッカーの国際試合を夜からやるらしく、みんな嵐の前の静けさである。
市場に行くと、インディヘナや地元民でにぎわっている。

通りを歩いていると、めずらしく白人の男が私に声をかけてきた。
「おお、あなた日本人か?俺の彼女が日本人で、じつはその彼女が国境で問題おこして拘束されている」
速攻でウソだとわかった。男の前歯が虫歯できたない。
私は「だからなんだ?」
男は「君は日本人だろ?助けて欲しい。30ドルくれ」
「Pu-Ta!!」
私は日本人として舐められたくなかった。
ただでさえ日本人のイメージは金だけ持ってる馬鹿なやつと思われている。
鋭い目つきをして追い払い、今度は追いかけるフリをしていると、市場でバナナを売っていたおばさんに、
「やめときな、あいつは可愛そうな旅行者さ」
エクアドルでは世界中のヒッピーが集まる海岸があるのだという。そこの人種らしい。
ところで外国からみた日本人のイメージだが、そのほとんどに金がつきまとう。

外国人の誰かが言った。
「日本人は他人を信用しないが、騙されやすい」

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シャワーが水のホテルで静かに過ごしていると、ある時をさかいに銃声が聞こえた。
パーン!パッパーン!!!
サッカーの試合でも終わったのだろうか。およそ1時間ほど、近くの繁華街からたびたび銃声が聞こえた。
エクアドルが勝っていれば勝利の銃声。負けていれば、、、想像したくない。

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南米は仕事をする少年をよくみかける
ペルーでは約10年前から14歳以上なら合法的に仕事ができる。
そのほうが納税してくれるからだ。
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言葉の必世界

75.desde peru a Ecuador
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えーっと、
この写真は、やらされています。
まわりにはライフルを持った警官がこちらを笑いながらみています。
「おい、肩を組め」
婦警さんも大変ですね。楽しかったけど。
国境はライフルまみれ。

国境線が明確な線で記されていないのがペルーとエクアドルだ。
カーニバルでもやっているかのような人ごみ。橋の上。
そこに国境があることは、旅行者では絶対わからない。
非正規の通関案内人が声を掛けてくれなかったら,通り過ぎていたところだ。
声をかけただけでUS20ドル請求されたので3ドルにまけてもらった。ありがとう。
南米ではサービスの価値を自分で決めることができる。
もちろん善意で国境手続きを手伝ってくれる地元の人も数少ないがいるわけです。

さて、騒然とした国境の橋。100m足らずの短い橋の上にはふたつの税関がある。
人をかき分けないと歩けないほどの橋の上をバイクで走りつつ最初にみつけたのはエクアドル入国税関だった。職員に「まずペルーで出国スタンプを打ってもらうように」、、引き返す。
ごった返す橋の上。今日は日曜日。

ペルーフロンテーラでパスポートに判を押してもらう。少しクセのありそうな太った税関のおじさんに、なにかが無いから出国できないと、案の定。
たぶん保険の関係だろう。違法だと言われそうになったが、それは厳密にいえばのこと。南米の法律はすべてがあいまいだから言わせないように工夫する。
ペルーの政治の話をふってアドアナおじさんの気をそらした。ペルー人は政治に関心がある。

橋の中間にあったペルーの税関で判を押してもらいエクアドルの税関に戻ってきた。
数人が順番待ちしていた。
おおくの人出にバイクを置くのがとても心配で、錠を掛けたが目を離すことができない。

「書類がないから入国できない」といわれた
が、
「書類を作ることはできる」と言った。
胸板が厚い若い兵隊さんに案内されて裏路地の市場の角をいくつも曲がった。アスファルトが剥がれ落ちた穴ぼこは、地上最強のアク路だった。時速10キロでドッカンドッカンやっていると数分で市の建物にたどり着いた。
「ああ今日は日曜だから事務所は休みだったよ、待ってろ、書類作成する人間に連絡とるから」

建物前でぼーとしてるとアメリカ人がやってきた。
閉まっている事務所を見るなり、
「今日は国境越え無理かな」ぼそっといった。
アメリカ人はトラックドライバーで、南米には年に数回やってくるらしい。

胸板の兵隊が電話を終えると、
「書類作成に半日かかる、しかも有料だ。明日になれば無料でやってくれるが、君たちどうする?」
と言ってきた。
アメリカ人の多くは英語以外の言語を話せるひとが案外少ない。
国境で出会ったトラックドライバーも、スペイン語は20単語だけを理解できるにとどまる。
おたがいほとんど挨拶程度しか相手の言語を理解できていない日本人とアメリカ人。

日本人も英語に留まらず、スペイン語、ロシア語、そして中国語を学ぶ必要がでてきた。

この国がグローバル化を目指すなら、小中学生のアンケートで「英語好き?」の問いに、100人中85人が手を上げれるぐらいほしい。
手をあげる生徒が100人に1人というのが今の現状と言ったらビックリすると思う。生徒が、そしてなにより先生が自信を持って楽しいといえる学習方法が必要だ。

語学は本来とても楽しいものであるが ”弾かれる”のも非常に早い。
私は中学一年の1学期で英語を挫折して以来、それからの授業は味の無いものだった。
いまから10年前アメリカをバイクで一周したときは英語で苦労した。英語ができないことで白人にバカと言われて喧嘩したことがある。
言葉を重視する国民には英語は不可欠。
たとえば形態を「英会話クラス」と「文法クラス」に分けてもいいかもしれない。バランスよく組み立てればいい感じ。
弾かれて興味が無くなった生徒にもう一度チャンスを与えてほしい。英語は意味解らなかったけど興味はあった。でも授業は止まってくれなかった。ちなみに「数学」も不得手だった中学時代「自主学習クラス」と「教科書どおり進めるクラス」とに分かれていた。
私は当然「自主学習クラス」
もちろん先生も1人ついた。成績ずっと3だったが、もともと嫌いな数学に少しだけ興味を持った。
理解不能は興味不能だが、少しの興味でも大発展は可能だ。


私は仕方が無いので最後の手段「カルネ」を使用することにした。カルネとはJAFで発行している無税通関証明書である。これがあればバイクだろうと車だろうと書類作成しないでも簡単にバイクを一時出入国できる。

カルネを提出すると、胸板さんは、
「なんだ~、もってるジャン」
と、まるで自分のことのように喜びながら判子を押してくれた。兵隊さんは通関士でもあった。
アメリカ人は羨ましがっていたが、アメリカではカルネ取得がそれほど大変なのだろうか。
とある元旅行者のバイク乗りがカルネは不要と言っていたがめんどくさがり屋にはもってこいの書類である。

「人間の入国審査」と「バイクの一時入国手続き」の場所が違うところは、
陸路ではここペルー国境エクアドルだけだった。
そこで出会った子ども
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たぶん5歳ぐらいの子供、お兄ちゃんとアイスクリームを売ってました。


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さて、ペルーでは悪名高いエクアドルに入国。
ここから更に危険な国が連続する。

プロフィール

masatorakun

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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