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普通はそれ以上でいたい

90.Panama

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パナマ空港でバイク通関の手続きを開始した。
貨物会社と通関と、許可書をもらえる部署が、片道3キロもある。
この片道3キロを、3往復することになる。
何往復しただろうか。いや3往復以上してないのだろうけど、なにせ炎天下で記憶が定かでない。
まともに歩いてやっていたらたぶん二日は掛かるので、ヒッチハイクを繰り返した。
みんな通関業者で、同じ部署まで行っては引き返し判子を貰うの繰り返し。
ハエの食堂でも、そんな通関業者らが列をなしていた。

さて通関。ロシアであれだけてこずったバイク通関作業も、もう慣れたよ。
色negro、年式1978anoなどをスペイン語で記入して入国検査官に提出。
同じものを再度作成し、それを1キロ先の税関事務所に申請し、サトウキビ畑を走って2キロ先の事務所でまた書類を書く。同じことを何度かすると、暑さにももう慣れた。

バイクが載った貨物飛行機が遅れてるため、通関を終えてからは貨物会社の外で待ちぼうけ。
倉庫の端に座っていると、いかつい従業員がやってきて「オサマ、オサマ」と私にこっそり言ってきた。
オサマとは、ビンラディンのことだろう。
アジア人でヒゲを生やしていたらみんなオサマ。
黒人をみたら全員エディーマーフィーにみえるのと同じ要領だ。

私は暑さにまたイライラしていた時だった。
オサマと呼ぶそんな彼の、インディアンでない黒人ミックスの肌をみて、「なんだ!インディアン」とワザと言った。
彼はそのまま倉庫奥に消えた。
私はどうも黒人との相性運が悪いらしい。
いきなり中指を立てられたり道を聞いても何度か無視されたw。
この旅で残念だったのは黒人とアメリカ人とはほとんど友達になれなかったことだ。

しばらくすると別の従業員が重機を使って、私のバイクを持ってきた。
アルミ台が曲がりそうだ。重みを感じる重量480キロ。
ラップでグルグル巻きにされたバイクを自分自身で破り、はずしていく。

アルミ台に何箇所もガチガチに固定されたコードを取っていると、雨が降りだした。
雨が降って助かった。超あつかったので調度よかった。
ふたりの人が手伝いに来てくれた。業者の人間ではない。コロンビアのカリ出身の女性と、あとはパナマの黒いじいさんタバコが似合ってた。なんだかんだやってようやくバイクを受け取れた。いちいち手続きは面倒だけど手順だから仕方ない。このあと中米諸国では各税関事務所で問題をおこすことになる。

パナマは暑かった。
じめった気候にイラついて危険な車に文句をいった。いつもならたいがい知らんぷりの地球人だが、このときはなんだと!という感じで入った路地をバックしてこちらにむかうべくアクセル空ぶかししているのがみえた。単管マフラーからすごい勢いで白い煙が立ち上げていた。
難から去ってガソリンスタンドへ。バイクの調子がイマイチよくない。

この旅は長期になる。ningenもバイクも調子悪いときがあってあたりまえなので、あえて整備せず自然な復調に任せた。
(家に帰宅してまずやったことはプラグのチェックだった。凝固したスラッジがプラグ先端に付着して次世代プラグの様相を呈していた。あたりまえだ。5万3千キロ一度もプラグを交換していない。そのためかやたらとオイルを食う時期があった。キャブレイタも一度たりとも整備していない.)

大陸を走った疲れがみえてきた。
道に迷いまくった。早朝のハイウェイ。通勤車は少ない。
日曜日であることに気付いたのはその日の午後だった。
どうりで昨夜の、宿の連中が飲みに出かけたがったわけだ。

飲みにいった連中はスイス人、フランス人、イギリス人、私、そして女性ライダー・ドイツのケッペル。
この女と勇まし酒を飲み交わしてる頃、地元の連中がビリヤードに講じていた。
大勢のなかからイレズミだらけの若者グループに声を掛けた。
彼らならきっと優しくしてくれるのがわかった。
次の日に彼らの店に行くという約束をしていたのに行けなかった。早朝、急遽気が変わって出発したためである。

色んな国の連中と酒を飲んでも、グッとこない感動が少ない。
だからパナマの不良たちに声を掛けたのだと思う。

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普通が普通以下に思えてしまう。
感覚が麻痺すると、危険なことが起こる。
パナマ運河をみて、どうも思えない感覚こそ、危険察知を鈍らせている警告だった。

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南米から中米へ

89.avion

フライトの朝がやってきた。
南米コロンビア発~中米パナマシティ。
乗船時間は夕方。昼過ぎにはバイクの件もあり空港でうろついた。

往復航空券を買うのにATMで金を下ろしたのだが、またこれが札束の多さったら。
5万ペソ(2000円)がコロンビアにおける最高紙幣なものだから、現地で高額紙幣をこれでもかと持ち歩くことになった。
おまけにATMの限度額は30000円ぐらいと小さい。5回も限度額を連発。人もみてくる。
コロンビアパナマ往復日本円で15万円ぐらいだったから、札束がどれぐらいの量かは想像してください。
とんでもない札束をポケットにねじ込み飛行機のチケットを買いにいく。


さて飛行機。
日本のおじさんと隣席した。リタイア組らしい。会社員時代のしがらみで遊びに来たようだ。パナマは危険だから気をつけてといわれた。
パナマに空路での入国はやはり往復チケットを持っていないと入国が厳しいらしい。とくにボゴタ発は、とおじさんは私に教えてくれた。
そのおじさんはパナマ空港に到着するなり携帯電話で仕事仲間にむかえにきてもらうてはずをとっていた。それをみて寂しくなった。私にも日本人の友達がほしい。
おじさんに招待されまいかと、少しばかりの期待を持ったのは言うまでも無い。

ターミナルではタクシーの客引きがいた。ほとんどのドライバーが黒人だった。
同じ便に乗っていたフィンランド人と相乗りしてパナマ中心地にタクシーを走らせた。
そのフィンランド人と私の目的宿は一緒だったのだ。

運転手は黒人で、やたら荒っぽい。クラクションを鳴らしながら罵声かと思ったらレゲエでノリノリ。全開に開け放った窓から湿気をおびた熱風が首筋に張り付きつつ。糞だのなんだのわめき散らすドライバー。おまけに時速130キロ。

パナマシティのズーリという世界中のバックパッカーご用達の宿。
そこで降ろされた。散々な気分で宿の門をくぐった。
門は、見る限りバイクを敷地に入れられそうもない。

翌朝
宿主がなんと若々しい女性であることを知った。
ズーリさん
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ズーリ宿からタクシーで空港にむかう。バイクの通関をするためだ。
パナマは物価が高い。シティから空港まで約30キロの道のりのタクシー代2500円。

しかし公営バスは空港までで、空港の裏に有る貨物空輸会社までは運んでくれない。空港ロビーから貨物会社まで、歩いて数時間、しかも治安が悪い。猛暑の中を歩くのもゴメンだ。

コロンビアの貨物会社から渡された住所をタクシ運転手にみせる。
貨物会社のパナマ支店だ。コロンビアと同じく、てっきり通関作業を引き受けてくれるのかと思いきや、5000円ぐらい掛かるとのことで、自分でやることにした。
空輸便がなにかの拍子で遅れているとのこと。

地べたで汗だくで座った。
有料といい、猛暑だし、なんだかイライラ具合が増してきた。

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そんなとき、パナマではあまりみかけない白人とインディヘナの混血メスティーソの美人お姐さんが話しかけてきた。
コロンビア出身の女性だという。なるほど。お父さんと仕事で来ているという。
荷物を取りに貨物会社にやってきたらしい。
ほんの少し癒された。

腹も減ってないがメシを食った。
これだけ暑いと体力が持たない。

これぞ中米料理,
ハエさんこんにちは。ウザ。
味は最高。
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あずきに砂糖なしの豆料理は中南米で毎回料理に出てきて、お気に入りの食事となったのだった。

プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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