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言葉の必世界

75.desde peru a Ecuador
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えーっと、
この写真は、やらされています。
まわりにはライフルを持った警官がこちらを笑いながらみています。
「おい、肩を組め」
婦警さんも大変ですね。楽しかったけど。
国境はライフルまみれ。

国境線が明確な線で記されていないのがペルーとエクアドルだ。
カーニバルでもやっているかのような人ごみ。橋の上。
そこに国境があることは、旅行者では絶対わからない。
非正規の通関案内人が声を掛けてくれなかったら,通り過ぎていたところだ。
声をかけただけでUS20ドル請求されたので3ドルにまけてもらった。ありがとう。
南米ではサービスの価値を自分で決めることができる。
もちろん善意で国境手続きを手伝ってくれる地元の人も数少ないがいるわけです。

さて、騒然とした国境の橋。100m足らずの短い橋の上にはふたつの税関がある。
人をかき分けないと歩けないほどの橋の上をバイクで走りつつ最初にみつけたのはエクアドル入国税関だった。職員に「まずペルーで出国スタンプを打ってもらうように」、、引き返す。
ごった返す橋の上。今日は日曜日。

ペルーフロンテーラでパスポートに判を押してもらう。少しクセのありそうな太った税関のおじさんに、なにかが無いから出国できないと、案の定。
たぶん保険の関係だろう。違法だと言われそうになったが、それは厳密にいえばのこと。南米の法律はすべてがあいまいだから言わせないように工夫する。
ペルーの政治の話をふってアドアナおじさんの気をそらした。ペルー人は政治に関心がある。

橋の中間にあったペルーの税関で判を押してもらいエクアドルの税関に戻ってきた。
数人が順番待ちしていた。
おおくの人出にバイクを置くのがとても心配で、錠を掛けたが目を離すことができない。

「書類がないから入国できない」といわれた
が、
「書類を作ることはできる」と言った。
胸板が厚い若い兵隊さんに案内されて裏路地の市場の角をいくつも曲がった。アスファルトが剥がれ落ちた穴ぼこは、地上最強のアク路だった。時速10キロでドッカンドッカンやっていると数分で市の建物にたどり着いた。
「ああ今日は日曜だから事務所は休みだったよ、待ってろ、書類作成する人間に連絡とるから」

建物前でぼーとしてるとアメリカ人がやってきた。
閉まっている事務所を見るなり、
「今日は国境越え無理かな」ぼそっといった。
アメリカ人はトラックドライバーで、南米には年に数回やってくるらしい。

胸板の兵隊が電話を終えると、
「書類作成に半日かかる、しかも有料だ。明日になれば無料でやってくれるが、君たちどうする?」
と言ってきた。
アメリカ人の多くは英語以外の言語を話せるひとが案外少ない。
国境で出会ったトラックドライバーも、スペイン語は20単語だけを理解できるにとどまる。
おたがいほとんど挨拶程度しか相手の言語を理解できていない日本人とアメリカ人。

日本人も英語に留まらず、スペイン語、ロシア語、そして中国語を学ぶ必要がでてきた。

この国がグローバル化を目指すなら、小中学生のアンケートで「英語好き?」の問いに、100人中85人が手を上げれるぐらいほしい。
手をあげる生徒が100人に1人というのが今の現状と言ったらビックリすると思う。生徒が、そしてなにより先生が自信を持って楽しいといえる学習方法が必要だ。

語学は本来とても楽しいものであるが ”弾かれる”のも非常に早い。
私は中学一年の1学期で英語を挫折して以来、それからの授業は味の無いものだった。
いまから10年前アメリカをバイクで一周したときは英語で苦労した。英語ができないことで白人にバカと言われて喧嘩したことがある。
言葉を重視する国民には英語は不可欠。
たとえば形態を「英会話クラス」と「文法クラス」に分けてもいいかもしれない。バランスよく組み立てればいい感じ。
弾かれて興味が無くなった生徒にもう一度チャンスを与えてほしい。英語は意味解らなかったけど興味はあった。でも授業は止まってくれなかった。ちなみに「数学」も不得手だった中学時代「自主学習クラス」と「教科書どおり進めるクラス」とに分かれていた。
私は当然「自主学習クラス」
もちろん先生も1人ついた。成績ずっと3だったが、もともと嫌いな数学に少しだけ興味を持った。
理解不能は興味不能だが、少しの興味でも大発展は可能だ。


私は仕方が無いので最後の手段「カルネ」を使用することにした。カルネとはJAFで発行している無税通関証明書である。これがあればバイクだろうと車だろうと書類作成しないでも簡単にバイクを一時出入国できる。

カルネを提出すると、胸板さんは、
「なんだ~、もってるジャン」
と、まるで自分のことのように喜びながら判子を押してくれた。兵隊さんは通関士でもあった。
アメリカ人は羨ましがっていたが、アメリカではカルネ取得がそれほど大変なのだろうか。
とある元旅行者のバイク乗りがカルネは不要と言っていたがめんどくさがり屋にはもってこいの書類である。

「人間の入国審査」と「バイクの一時入国手続き」の場所が違うところは、
陸路ではここペルー国境エクアドルだけだった。
そこで出会った子ども
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たぶん5歳ぐらいの子供、お兄ちゃんとアイスクリームを売ってました。


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さて、ペルーでは悪名高いエクアドルに入国。
ここから更に危険な国が連続する。

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Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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