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メキシコを走る

99.Aduana EstadosUnidos,reinosa mexico

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アメリカとの国境に差し掛かっていた。
アメリカ西海岸を縦に走ればこの旅はおわる。

ところがアメリカ国境に差し掛かってくると道路標識が一切無くなった。
およそ300キロのあいだ、道に迷わないほうがおかしいのである。
荒野しかない。そこを危なそうな人が歩いている。
かなり冷え込んでいる。夜には氷点下になった。

軍隊の検問があった。
検問所があるということは、主要道であるに違いない。メキシコはその程度の判断で走ることになる。
いつもの検問で書類検査。

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それがおわると厠に行きたくなった。
軍人に案内されて検問所の裏にいくと、数個のテントが張られていた。「どこでもいいぞ」と若い兵隊。ライフルが似合ってる。目は優しかった。焚火のあとがあり、その近くには鍋や飯ごうが転がっていた。綺麗に洗ってある。なべ底にはどうしても洗いきれない「焦げ」が生活観を漂わせていた。検問所の裏には彼らの実態があった。
軍人たちは検問所の裏で完全アウトドアな生活を送っていたのである。世界中みても検問所の裏がキャンプ場になっている場所はそうない。メキシコ軍の兵隊はキャンプ生活。笑顔をみせないのはこのせいだろうか。
ワイロばかりの警官にくらべ世界の兵隊はマジメだ。それだけに軍予算をもっととってよメキメキちゃん。
2009年メキシコは政権がかわった。新大統領は麻薬撲滅に力を入れている。麻薬汚染された国内を正すため軍隊も日夜検問に励んでいるようだ。

メキシコを走っていて、道端で手招きしてくる警官と幾度となく出会った。どうせ恐喝なので無視したがメキシコ政府は管轄下を早急に正したほうがいい。国全体のイメージは一般市民でなく行政の場合もある。

国境から数キロに位置するホテルに入った。
風邪気味。タバコをやめればいいのに。
ニカラグア人と友達になった。
彼らはアメリカに買い付けをして、いまからニカラグアに帰るところなんだと言った。ここは寒いがニカラグアは猛暑だろう。あの暑い国に帰るのだから体調に気をつけてと声をかけると、みんな笑った。ニカラグア人の笑顔が好きだ。
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彼らと酒を飲み、蚊と闘った。
バイクを寝室に入れて就寝した。


アスタマニャーナ

命の危険



98.Mexicanos

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窓拭きの少年たち

日記抜粋
2008年11月15日

午前5時30分起床、出発
まだ目はまん丸

午前11時
ふざけたメキ鹿野がケンカを売ってきた。いや、私が売ったんだ。
メキシカンふたり組がファッ●だサノバだ言ってきたから、私は丁寧なスペイン語で死ねといった。
すると高速の料金所の先でまちぶせしてくれた。
暑さにやられて危険察知の感覚も麻痺していたのだろう。なにも怖くない。
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なにか嫌な予感がしてレストランに立ち寄ると案の定ヤツらはどこからともなく車で滑り込んできた。
ふたりは車から降りるなり「最後の望みは何だ!」と言ってきた。
望みをきいてくるなんて、なんて親切な不良たちだろう。
まるで閻魔様最後の情である。

手には鉄パイプ。
ふりまわしてきた。
私は数歩後ずさり、彼らは私を本気で殴ろうと飛び掛ってきた。
「のぞみは何だ!」
そういいながらバイクの脇に置いてあった私のヘルメットを鉄パイプで殴る不良のひとり。
また最後に「望みはなんだ!」そう言って、走り去っていった。まるで台風である。

レストランの店員も知らん振り。
でも最後は心配そうに「待ち伏せしてるかもしれない」と言った。
アイツら拳銃だって持ってるかもしれないから、ここでゆっくりしていきなと強く勧められた。

鶏肉料理を注文した。
平気そうなそぶりで食べたが、さすがに殺されるかもしれない緊張に喉を通らない。
鶏肉料理はおでんの味がしたのだけは覚えている。喰ったらすぐに出発した。

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さて、この事件の発端である。
メキ野郎の乗る後続車。その車間距離が私の常識をはるかに超えたアドリブのきかないものだった。
だから私は不良どもに先に行けと仕草をしたのだが、先に行ってはくれない。
車間距離はあいかわらず2m前後と、○阪○知あたりの車間より近い。

体中がカッとなってしまった。
ここがメキシコであることを忘れていた。

彼らは本気で私を痛めつけようとしていた。
20代と50代の親子と思われるふたりの鉄パイプ野郎たち。

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不良どもが待ち伏せしていることはなかった。
それでも出発間際レストランの店主に、他の車と離れることは絶対にしないように言われた。

茂った草原に彼らが隠れていないか、びくびくしながら約100kmの距離。ぜんぜんたのしくない。
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気が小さいからなのか車間距離について私はシビアである。
近いと感じるドライバーには後ろをむいて離れることを促している。
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静岡ナンバーの地域は、車間が開いていてとても走りやすい。
全国の皆さんも是非静岡へドライブに来てください。

Mexico


97.Mexico

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メキシコは金銭の国。


ゲリラで有名なコロンビアを走り、拳銃の所持率ダントツ世界1のグアテマラも抜けて、
メキシコなど、どうってことないのである。
感覚が麻痺していた。



メキシコ人に道をたずねようとすると、必ず「どこへ行く」と聞かれる。
目的地は北だった。
メキシコ人は私がどこから来たではなく、どこへ行くかに興味を持っていた。
他国では必ずどこから来たから始まる。


さて、メキシコでは面倒なシステムがあった。

permisoペルミソというバイク通行許可書だ。

ある程度の国ではこういったシステムはあったが、そのほとんどが入国と同時に自動加入で無料、もしくは数ドル程度の支払いで、手続きも簡単。
ところがメキシコのペルミソ(通行許可書)は自動どころか手動。
加入できる事務所は国境から15キロもあり、わざわざその事務所を探して加入しなければならなかった。

しかもペルミソの加入金はUS300ドル!超たけえ!!
しかもメキシコなのに、「「アメリカ紙幣」」での支払い以外は、受け付けないという!!

これは妖しい。現地語でオブニ。
おかしいだろ。だってメキシコという国でメキシコの金を受け取らないなんて!!
自国さえ自分の国の紙幣を信頼していないのか。
さすがメキシコ政府はU.F.Oを認めているだけのことはある。

この通行許可書を車体に貼っていないと交通違反でキップを切られるとのことだ。笑わせてくれる。
警官からはいつでも賄賂請求のメキシコで、違法だどうだと言われる筋合いはない。ペルミソがあってもなくても同じである。
ただ、いちいち軍隊検問で釈明するのも面倒なので加入することにした。私はマジメだ。

どちらにしろアメリカドルの手持ちがないので、銀行の場所を教えてもらった。そのあとすぐに食堂へ。

道端の食堂、このパターンは決まって腹を壊す。今回はだいじょうぶだったがどうも青空レストランは身体に合わない。
牛肉を喰いながらキドニーベルトの裏にしまっておいた隠し金をチェックした。エクアドルの両替商に掴まされた厚紙3枚。

ペルミソの加入金=メキシコの平均月収以上。
相当いい値段である。
あやしすぎる。
後々みていくことになるメキシコ国民の生活水準をみていると、ペルミソがいかに法外かがわかる。


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メキシコなのに、アメリカ紙幣しか受け付けない事務所。
いいたいことは山ほどある。
とりあえず政治家への汚い金に違いないペルミソ代は、厚紙で十分である。べつに偽札とは言わない。

紙幣は受け取られ問題なく通行許可書という名のステッカーがバイクの風防に貼られた。
車用なのでガラスの裏に貼ってちょうどみえる工夫がしてあった。にしてもステッカー1枚250ドルは高すぎる。
ステッカーといえば世界のステッカーを買ってはバイクに貼りつけていたがメキシコ国旗は国の許可がないとステッカーにできないらしい。

通常、ステッカーは500円程度で買える。気に入ったところのステッカーだけを貼っていたので複重するステッカーもある。貼っていない国はメキシコぐらいか。モロッコなどはステッカーが安かったから土産にしようかと思い大量購入して、買ったそばから次々に車体に貼り付けたものだからモロッコステッカーは5枚も貼ってある。
しかしお土産にモロッコの国土をかたどったステッカーをあげても誰も喜ばないだろうと、おかげであげそびれた。大人の思い込みは不幸である。モロッコステッカーは今も家に大量に残っている。

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さて、メキシコの道はひどい。世界の酷い道ファイブにランクインされる。
シベリアほどではない。その次の次だ。
アスファルトがめくれているのは日常茶飯事。
舗装していないほうがよっぽどいい。へたに舗装がめくれているとアスファルトの角にタイヤが乗るとバーストする。

元アスファルトと思われる廃道のような主要国道。。
時速10キロ前後でがったんゴットンやっているとバキッと大きな音がした。次の瞬間タイヤが擦れる音がした。
とまってチェックするとチェーンガードを留めるネジが溶接面ごと折れていた。この溶接部は新車当時からこんな弱弱しいのでいいのだろうか不安に思っていた部分である。
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1997年式ハーレー新車購入から13年目にしてはじめて折れたのだった。
チェーンガードを荷物の隙間に入れようかと思ったが他のキャンプ道具に負担がかかるためクロームメッキを草原に投げ捨てた。

草原にはバンパーや破損した車体の一部がこれでもかと点在していた。
相当ひどい道であることがおわかりだろうか。相当ひどいんです。

こんな道が延々つづくと思うとバイクもワタシも持たない。なにか良い案はないかトラックドライバに話しかけると、近くに高速道路があるのを教えてもらった。
よし、高速道路!!


しかし高速道路も最低だった。穴ぼこだらけ。
これで1000円も徴収するのだから、首脳は一刻も早く交代したほうがいい。国民のためだ。

地図を持っていないので勘に任せて北に進んだ。

ところが北をめざしていたはずが東に走っていた。
道路標識がほとんどないのが原因か。

暑いとカンも鈍る。

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そしてこのあと、世界一周で最も危険な出来事があったのでした。


グアテマラの恐怖体験



96.Guatemara

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ふだん、きいたこともないような国、グアテマラ。
コーヒーで有名だが、コーヒーを飲んでいる人をみかけない国でもあった。

国境では、いままで出会ってきた「国境のヒト」より、ずいぶんと目つきが悪い人が目立つ。
グアテマラは前評判がおそろしい。
なにせ拳銃所持率世界一だからだ。
警戒に警戒を重ねた。それにしても暑い。

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ネギを売る少女に出会った。
8歳の少女は、私がネギを買ってもどうにもならないのを知ってか、すぐそばにいるのに声をかけてこない。
実際いくらお買い得といっても20円のネギを買って道端で調理でもしようものなら人だかりができてしまって危険。
商店で買ったコーラを飲みながら少女に声を掛けた、飲むか?と。
少女は頷いて椅子に座った。写真撮ってもいいかと聞いたら黙って頷いた。強い意志のようなものを眼光の奥に感じた。
しばらくして写真の彼女と格好も顔もまったく同じ子がやってきた。
やはり手にはネギをもっている。エルマーナ姉妹と言った。

姉妹と別れてすぐオイル店に立ち寄った。
中米に入ってはじめてのオイル交換になる。
もちろん道端で作業をする。外気は灼熱。メキシコとの国境も近い。

旅のゴールを当初の予定のロサンゼルスからカナダに変更したのは丁度このときだ。バイクの調子が良かったから。
この余裕と慣れこそが後々めんどーを招く。初心不可忘。

さてオイル交換だがヨーロピアンの高級オイルを入れた。
値段は日本で買うより2000円ぐらい安い。
値引をしてくれた店員さんにオイルの受け皿を借りた。

汗だくで地べたに横たわって下回りをチェック。
ほこりまみれだがオイル漏れ等の不具合はなさそうだ。

ブエノスアイレス空港でバイクに火を入れたとき白煙が吹いていた。
いまもエンジンの掛け始めに白煙を噴く。アクセルをもどしたときだ。これさえ無ければ完璧だった。
オイル交換しているすぐ脇を、大勢の人が通り過ぎていく。誰も声を掛けてこない。気候が暑すぎる。
その場に暫くほども立っていられない。それほど灼熱。

夕方、小さな町に立ち寄った。田舎の大きな村落といったところか。
人口5千足らずと思われる町に夕方立ち寄ると、おおぜいの人たちが町の中心部に向かって歩いていた。中心部には公園があり、人口密度に比べれば想像を絶する人通りが商店街に広がっていた。

コミダデチーノといえば中米名物中華料理である。
中米にはインディアンの血を引く人たちが多いので味付けはアジアだ。
よくメキシカン料理なんていうものが日本にあるけれどメキシコで想像通りのメキシカン料理は皆無であり、グアテマラの有名コーヒーも皆無である。
メキシコから北米に入っていけばハンバーガーばかりなので、しばらくたべられないアジア味がたべたかった。

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中華料理店の道端にバイクを停めて早速注文したのは日本円で300円ぐらいの焼き飯。
二合という超特大サイズのチャーハンは並盛り。
半分も食べられずタッパに詰めてもらっていると、外から声を掛けられた。

「このバイクは君のだろ?あわせたい人物がいるのだけど! 」
ベトナムのトゥクトゥクみたいな超小型タクシーに載った若者と、その仲間の運転手。
お持ち帰りのチャーハンをしっかり握りタクシーのあとをついていく。ふたりの眼をみる限り、殺気はなかった。「信用できる!」と瞬時に判断し走った先は、誰かの家。

バラックである。バイクのエンジンを停めた。タクシーもエンジンを切ると、そこかしこで人の声が聞こえた。真夏のお祭りの前のような盛り上がり。バラック近辺に電灯はなく、夕方すぎだというのに闇の世界。真っ暗だ。草の匂い。
タクシーの運転をしていたほうが早足にバラック小屋に入っていくと、人を連れてすぐに戻ってきた。
連れてきた人は私よりずいぶんと若い。
まだ10代と思われる男は、体つきもひょろっと芯ができ始めた。
闇の中に白目と手のひらがチラチラ浮かび上がる。なにか言っている。まったく言葉が通じない。

質問攻めにあった。
バラック住まいの男の作業ズボンの脇差には拳銃があった。ギャングか?いや、単なるバイク好きらしい。グアテマラは拳銃と並びバイクに関してもかなりの種類が流通している。
スズキにはじまりヤマモト、ホンダ、イソノ等。へんな銘柄はベトナムか中国製だろう。

そんなバイクのライダーである拳銃の彼から、ひとつのプレゼントをもらった。
バイクのナンバープレートだ。
そのナンバープレートは、紙片に包まれていた。
ナンバーを取り出し紙片を丸めたとき気づいた。紙片は数学のノートだった。彼の妹なのだろうか。彼が勉強するとは思えない。
「そいつを持ってホテルに帰るんだ」
そういうことだった。
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なんだかよくわからんが、私は礼をいった。
いまどこなのかまったくわからないが、タクシーの彼らも先にどこか行ってしまい、国道にでるのにマンホールのふたがないような穴ぼこにふたつはまりつつ国道に出た。

暗闇の商店街。
街頭が一切ないので店先にいる現地の人が、はっきりみえない。
普通の人なのにおそろしい雰囲気。暗闇に浮かぶ人の顔。
まったく見えないよりも、中途半端に見えるほうが怖く感じる。



宿に帰ると若いボーイがホテルの敷地内を案内してくれた。
敷地内にはパーティー会場があり、その裏の暗闇の草原に満月が浮かんでいた。何匹かのホタルもいた。
ルナとシータ。とスペイン語を教えてくれた。これで私の使用できるスペイン語は22語になった。
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深夜1時の怖い体験。
寝れずにビールなどを飲んでいるとシャワールームの方向から声がした。
窓があり、外から祈る声が聞こえるのだ。ときおり笑い声、礼拝所のような雰囲気だ。
懺悔でもしているのだろうか、小さな子どもがお祈りしている声、泣いているような声もした。

深夜2時。
トイレに立ったときも途切れず子供たちの声が聞こえた。
怖かった。布団を頭からかぶって寝た。気がついたら朝だった。
翌朝シャワールームの裏を見ると川だった。礼拝所などどこにもなかった。


そういえばグアテマラに入るとき税関職員に「20ドルよこせ!」といわれた。
ここに書き切れないほど中米の警官には賄賂を請求された。
なぜだ!と言い返したところ「いやなんでもない」と言うやつもいれば、言い返すとライフルをだすやつもいる。

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違法をおこすのが行政側だと、心底「人」を疑ってしまいたくなる。

しかし案外と行政が腐っている国の国民は、まるで別人のようにイイヒトだったりした。
世界はプラスとマイナスの比率が一緒である。


エルサルバドル


95.EL Salvador

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エルサルバドルに人間入国。
そしてバイク入国の手続き。
かなりてこずった。

誰も教えてくれない。
誰もいない。
看板のない怪しい倉庫が税関だと、誰がわかろうものか。

インテリ風の私服の税関職員が対応してくれた。
警備兵が何人もいて、観光バスが何台か入ってきては、荷物検査をしていた。

南米からのドラッグ輸送ルートにもなっている中米では、時々過剰なまでの検査をおこなう。
軍犬のシェパードと仲良くなったら、警備兵から仲良くするなといわれた。

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警備兵のおじさんにメッセージを書き込んでもらった。
背中が人生を物語っている。
グアテマラからきていたトラックドライバにもメッセージを書いてもらった。
彼らはここからの道路状況や治安を教えてくれた。
治安は、ことあるごと聞かないと大変な目にあう可能性がある。


入国してしばらく走ると、家の庭先でバーベキュをしている家族をみかけた。
ここは平和なんだなと思ったが、エルサルバドルといったら数年前まで内戦が起きていた国。
キャンプを張れる場所もなく、やむなくホテルに入った。あとで調べたら内戦は20年前におわっていた。
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日本の典型的なレジャーホテル。
バイクを屋根つき車庫に入れて食堂に行こうとしたら「このへんは危険だから俺がついていくよ」とホテルのボーイ。
食堂はなく、代わりに商店に行き、食材を買い込む。調理はホテルでやってもらうことにした。
売られていた食材は、鶏肉と冷凍ポテト。これだけ。

中南米では本当に鶏肉ばかり食べた。
「鶏肉」以外のスペイン語がいえたらもっと色んなものが食べられたと思う。



むかしアメリカをバイクで一周したとき、こんなことがあった。
しばらく肉ばかり食べていた私は、マクドナルドでサラダを注文した。

「サラダ・ワン・プリーズ」

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しかし店員は私の言葉に「なに?なに?」と、理解してくれなかった。
メニューといえば、ハンバーガーとポテト、それにサラダしかない。
店員は「サラダ」を連呼する私を変な人だと思っただろう。
最後までサラダを理解してくれることはなかった。

この出来事から分かるように、大切なのはコトバでなく、相手が本当はなにを言おうとしているのか解ろうとするその気持ちだろう。

日本人の日本語をよく聞いてみると、表面だけでは理解できない会話がとても多い。

外人からは本音をいわないと揶揄されることもあるけど、
相手を思いやる気持ち。これこそ、言葉の表面だけでは理解できない日本語の姿ではないだろうか。

日本語に多い表面不理解語。これこそ「思いやり」が備わっている言葉である。
日本語の難しさと、日本人が昔から持つ特異なまでの優しさに気づいたのは、私が日本に帰ってきてからになる。


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エルサルバドルに入国して、一番最初に話しかけてくれた家族
この頃になると当初まったくダメだったスペイン語が日常会話程度ならほぼ理解できるようになっていた。
よくスペイン語圏のひとに「どこで習った」と聞かれる。
私はこう答える。

道の上の先生たちに。

プロフィール

Author:masatorakun
皆様、こんにちは。
大型バイクのハーレーダビッドソンで世界一周したときの日記を再現しました。
楽しんでいただけると嬉しいです。

*写真転用コピ等禁止予めご了承ください。

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